【第808回】 気剛柔流の技

稽古を長年続けていると、剛の技、柔の技、流の技があることがわかる。以前を顧みれば、技は一本調子で、剛も柔も流もごちゃまぜであった。
徐々に真の合気道の領域に入ることが出来たようである。大先生は、「真の武とは、宇宙の完成に向かって導くものである。宇宙の魂の緒の糸筋を浄めて、気の世界・気・流体、柔体・固体の世界というように、各層をすべて浄めるみそぎのわざである」(武産合気p.89)、また、「気剛柔流(気△○□)を根本として気によって技を生んでいく」と教えておられるのである。

それでは剛の技とはどのような技かというと、主に人体での固体である骨に働いてもらって生まれる技であると思う。骨に気を満たせば強固な力が出る。しかし、柔軟性がないので、動作が繋がらず、ロボットのような堅い四角張った動きになる。

次に柔の技である。人体の柔である筋や筋肉に働いてもらって生まれる技である。つまり、肉主体の肉体として働いてもらうわけである。筋肉に気を満たせば、強く柔軟な力が出る。剛の骨よりも、強固ではないが、柔軟性は増す。

そして、流の技である。これは難しい。それ故、誤解が生じるのである。大先生がご健在で、お元気な頃はよく技を見せて下さった。流れるような動きで、技も流の技であった。大先生が部屋に戻られた後の自主稽古で、先輩や仲間が、大先生の技はこうだったんだろうと真似をしたものである。ある時、上手い上手いとある先輩の大先生を真似した流の技を褒めていると、突然、大先生が道場にお見えになり、「お前たちにはまだ早い!」と酷く叱られたのである。その時は、どうしてそんなに酷く叱るのかが分からなかったが、今ようやくそれが分かった。
流の技の意味が全然わかっていなかったのである。ただ、力まず、流れるように動けばいいと誤解してしまっていたのである。確かに、これでは武道にならないわけだから、大先生が叱られたのは当然だったのである。

流の技は、前述の骨と肉を気で溶かして(イメージ、気持ちで)流体にし、それを気で導いて生まれるのが流の技であると自覚する。体が流体になり、そして気で働くので流れるような流体の技になるわけである。これは自分の体で感じなければならないから、理解するのは難しいだろう。

因みに、気には二種類あることになる。一つは、骨と筋肉と一緒になって力(エネルギー)を生み出す気、それに骨と肉を一緒にしてしまう気である。もう一つは、これらの骨と筋肉と一緒になった体を導く気である。
これを大先生は前出しの教えで、「気の世界・気・流体、柔体・固体の世界」と言われているのである。つまり、「気の世界」と「気・流体、柔体・固体の世界」の二つの気ということになるはずである。