【第806回】 上達とは

この論文のテーマは、「合気道上達の秘訣」である。これまで、どのようにすれば、合気道が上達できるかを研究してきたつもりであるが、振りかえってみると、これまでの研究は個々別々のミクロの研究であり、その積み重ねであったと思う。
そこで800回を超えたところで、ミクロではなく、もう少しマクロの目で「合気道上達の秘訣」を見、まとめてみたいと思う。

まず、上達とは何か、どういうことなのかを整理してみる必要がある。
最初の上達は、技(正確には形)の数(量)と質で、技の数が増えていく事、そしてその技が強くなったり、美しくなるなど質がよくなっていくことである。また、受けも、誰の受けでも、どのような受けでも取れるようになることである。これに応じて、体も強くなり、繊細に動くようになる。
これは初心者時代の一般的な上達であるが、この次元の上達は、無意識のうちに身に着くはずであるから、特別、深く研究しない事にする。

我々が研究しようとしている上達は、意識して稽古をしなければならない上達である。
まず、上達の定義である。
合気道は、技を錬磨して上達するわけだが、錬磨する合気道の技は、宇宙の条理・法則に則っているから、宇宙の条理・法則を見つけ、身につけていく事が上達と考える。恐らく無数の法則があるはずなので、その一つ一つを見つけて、身につけていくことになるから、上達に終わりがないことにもなる。
技を宇宙の法則に合してつかわなければならないということは、体もその法則でつかわなければならないことになるから、体も上達が必要になる。
もう一つの上達観である。それは合気道の最終目標に近づいていくことである。合気道の修業の目標は、宇宙との一体化であるから、宇宙に近づくことが上達と云う事になるわけである。

次に、どうすれば上達することができるのかを考える。上記のように宇宙と一体化すること、そのために宇宙の法則を身につけていく事が上達であるわけだから、宇宙の営み・運化で技をつかっていけば、宇宙が身に付いてくることになるはずである。そのために、宇宙の営み・運化を表した「布斗麻邇御霊」で、技と体をつかえばいいはずである。故に、大先生は、このフトマニ古事記を勉強して、技をつかえと教えておられるのである。

三つ目は、上達の有無を判断する基準である。自分が上達するために試行錯誤しながら技の稽古や種々の修行をするわけだが、その稽古・修業が上達するために正しいのか、邪なのかの判断や自信が持てないものである。何かその判断の基準があれば、その判断が出来るし、上達が進むはずである。
その判断の基準になるものは、やはり大先生の教えである。大先生が教えておられることを記した『合気神髄』『武産合気』に従っている、沿っていることであり、少しでも逆らっていないことである。
二つ目の基準は、己自身の心と体である。最終的には己の心と体がよしとすることである。そのために、己の心と体と仲よくし、対話をすることである。また、そのためにも身心を清くしておくために、禊ぎが必要になる。
尚、己の心と体の判断であるわけだから、他人には分かりずらい。だから、この判断で他人にこの方がいいと言っても、相手は分からないだろうし、反発を食うこともあるわけである。
三つ目の基準は、過去と未来に繋がるかどうかである。正しければ、その技は、必ず過去と次につながり、そして発展するはずである。もし、そうでなければ正しくないということになる。

以上、上達についてまとめてみた。