【第804回】 赤玉、白玉、真澄の玉をつくり技を生む

前回の『第803回赤玉、白玉、真澄の玉』で、合気道の技をつかう際も剣をつかう際も、赤玉、白玉、真澄の玉でやらなければならないと書いた。これに続けて、今回は、赤玉、白玉、真澄の玉をどのようにつくり、技につかうのかを研究する。

前回にも書いたが、大先生は、「人々の禊となるには赤玉白玉に神習うことである。」「この世のミソギには、赤玉、白玉、青玉(真澄の玉)の三つの神宝が必要なのです。」と教えておられるわけだから、禊ぎの合気をする際は、赤玉、白玉、青玉(真澄の玉)が必要になるわけである。

実際に合気の技でこの三つの玉に働いてもらうと、大きな力や引力が生じ、これまでにない技が生まれるのである。それではどのようにこの三つの玉をつくるのかということになる。つくるというより、生み出すのかと言った方がいいだろう。
尚、前回にも断ったが、これまで、赤玉と白玉を取り違えていた。その原因を考えると、不十分な赤玉で、所謂“ヒルコの赤玉”であったからである。しっかりした赤玉が生まれたことによって、赤玉は塩盈珠、白玉は塩涸珠であることが、はっきりと体感できたのである。

この三つの玉の必要性や重要性は、正面打ち一教と片手取り呼吸法で感得、確認できた。こちらに力が付いてきたことにより、受けの相手の攻撃も素早く、力強くなってきているので、これまでのような体づかい、息づかいでの技づかいでは、止まったり、押さえつけられたりして、技にならないのである。それ故、新たな対策が必要になるわけであるが、その一つが、今回の赤玉、白玉、真澄の玉なのである。

最初の玉は、塩盈珠「赤玉」である。この玉は布斗麻邇御霊のである。口から息(気)を吐きながら、腹中の気をで横に拡げ、そしてその気をで縦にするとが生まれる。腹が玉になると感じる。鋼や水や空気の玉ができるのである。

これが「塩盈珠」であるとしたのである。
因みに、の「塩盈珠」をつくるのは、初め容易ではない。口で息を吐きながら、腹で息(気)を拡げたり、伸ばしたりすることと、の息づかいで体をつかうことである。稽古を重ねるしかない。
しかし、これは難しい息づかい、体づかいであるが、日常生活では無意識のうちにおこなわれている事である。それは“祈り”である。口から息を吐きながら詔を唱えながら、腹中ではをつくるなどと、腹中を動かしているはずである。
また、この訓練のためには坐技がいいが、これは後日とする。

次の玉は、塩涸珠の「白玉」である。この玉は、布斗麻邇御霊のであると感得する。から気が胸に上がってきて、胸で息(気)を引き乍ら胸を開くと、胸に気が充満する。これを胸が玉になると感じる。この時、胸は気で大きく広がり、“塩涸”と感じる。故に、これが塩涸珠の「白玉」である。

三つ目の玉は、真澄の玉である。この玉は、風の玉や青玉とも言われる。この玉は、布斗麻邇御霊のであると感得する。
更に息を引き続けると、から気が頭(天)に上がり、頭が気で満ちる。これを頭が玉になると感じる。また、手がこれに合して動けば、手と頭が玉を抱いている気持ちになる。この玉は、白玉や赤玉と違い、力みや張りがない、空気のような玉であるが、天地の重みがあるような重厚で不思議な玉に感じる。一教などの押え技や呼吸投げの最後の収めの玉としては最適な玉であると思う。後で分かってくるが、この玉には魂の気があり、魂があるということなのである。

合気道の技は、この赤玉、白玉、真澄の玉をつかわなければならないし、つかえるように出来ている。大先生のお言葉通りである。尚、剣も赤玉、白玉、真澄の玉で振ればいいようだ。これが合気剣になるはずである。
赤玉、白玉、真澄の玉をつくり、技を生んでいきたいものである。