【第803回】 先輩として

合気道を半世紀以上稽古をし、80歳の傘寿にもなった。約20年に亘って書いてきた当該論文は800回になった。この論文は1000回を目標にしているが、そうすると後4年ということになる。ということで、何か変わらなければならないと思っている。
これからの論文のテーマと稽古の目指すモノは、魂の学びであり、魂である。魄の稽古、物質文明の稽古、顕界の次元の稽古から、気の稽古、魂の稽古、幽界の次元の稽古である。これは決まっている。

しかし、これではまだ何かが足りないと思っていた。これに何かを加えなければならないと思うのである。
それは「先輩としての稽古」に入ることだと考える。
これまでも真面目に稽古をしてきたわけだが、言うなれば、自分自身のための稽古だったといえる。自分が上手くなり、自分自身が上達すればよかったわけで、他人のことなどあまり気にしていなかったと云える。それは余裕がなかった事と共に実力がなかったことにもよる。

論文を書いてきたが、私の考え方ややり方に興味を持ったり、賛同する人は読んでいるはずである。自分の考えややり方が異なれば、私の論文には興味がないはずだ。一人でも興味を持ち、その考えややり方を継承してくれればいいと思っている。
道場の相対稽古では、合気の技を練って精進しているわけだが、人それぞれ技のつかい方や考え方が違っている。だからいいと思うものをやればいいし、それしか出来ないだろう。勿論、私自身はこの自分のやり方、考え方が一番だと信じている。

論文同様、私の技のつかい方や考え方を後輩・後進にも伝えようと思うのである。私の技づかいやその考え方に興味を持ち、賛同する後輩にそれを伝えていくのである。それを伝えるということは、相対稽古で一緒に稽古をすることである。相対稽古の技の掛け合いの中で、それを伝えていくのである。基本的に、言葉は発せられないので、体で示したり、導いたり、また、気持ちや気で導くことになる。
道場に通う回数も多くないので、直接稽古が出来て、それを伝える相手は数人ということになるだろう。相手もよほど真剣に稽古をしてもらうことになるから、誰でもいいということにはならない。彼らは、時に、厳しく抑えられたり、決められたり、投げられたりするはずだが、後に、私と稽古をしたことを懐かしく思い出し、やってよかったと思うはずである。
そして、その経験した事、また、大先生や先生方、先輩などから学んだことや教えて貰った事を後輩に伝え、そして、今度はその後輩がその後輩の後輩に伝えていってくれればいい。
後輩もその後輩の後輩も、私の論文を読んで、形而上の合気道も理解するはずなので、形而下の実技の稽古によって、技の上達があるはずだし、真の合気道も分かるだろうから、この素晴らしい合気道の私の考えややり方を伝承してくれるのではないかと思っている。
何故、後輩に伝承しなければならないかというと、私が身につけた技や体づかいや息づかい、多数の宇宙の法則などを、一からやろうとしたら多くの労力と時間を要するはずだからである。既にあるモノを身につけることによって、それを土台にして、新しい発見をし、技に取り入れていけば、更に合気道が深まると考えるからである。大先生とまではいかなくとも、有川定輝先生が教えて下さったことを、自分で見つけて身につけるとしたら、それだけでも相当な時間と努力が必要だし、否、恐らくそれを見つけることも出来なかったかも知れないと思う。

間違っているかもしれないが、その判断は後世に任せる。世の中、間違っていたり、不必要なものは淘汰され消滅することになっているから、間違っているかも知れないがそれは心配していない。