【第803回】 剣づかいで

布斗麻邇御霊の動きで体と息、そして技をつかっていくと、新たな事がわかってくる。そして、布斗麻邇御霊の理合いで体、息をつかわなければ、技が生まれないことを確信するとともに、この動きが合気道の動きの理合いであり、また、剣の理合いである事も確信することになる。更に、合気道の動きを理合いの剣づかいでやればいいということもわかってくる。
例えば、誰もが苦労しているはずの諸手取呼吸法である。布斗麻邇御霊の理合いでやるわけだが、これだけではなかなか十分強力な力がでないものである。受けの相手は、こちらの一本の手を倍の二本の手で掴んでいるし、相手も腰腹でしっかり抑えていれば、体全体の力で掴んでいることになるので、普通に考えれば、この手を制するのは容易ではないはずである。

そこで手を持たせているこちらは剣を持っているつもりで技を掛けるのである。剣を持っている手を相手は掴んでいると思うのである。後は、その剣で突き、切って、収めればいい。これを布斗麻邇御霊の理合いでやるのである。布斗麻邇御霊の動きに則ってやらなければ、力ずくの只の魄の稽古になってしまうはずである。

剣で技をつかうと、強力な力が生まれるだけではなく、剣を取っている手を右、左陰陽につかい、腰腹からの力を右、左、右と意識的に陰陽に十分に返すことが出来るようになる。諸手取呼吸法をこれでやってみればいい。相当な力が出るはずである。

次に、剣をつかうということは、剣で相手を切ることであるから、刃が相手に向かなければならない。従って、剣を持っているとする手の手刀(狭義の小指の付根部分、広義の腕先から肘部分)は相手を切るようにつかわなければならないことになる。手刀が相手を切るようにつかわれているかどうかは容易に分かる。それは親指が支点となり、小手が動いているかどうかである。初心者はこの支点の親指を先に動かしてしまうので、相手を制することも出来ないし、十分な力も出せないわけである。

しかし、ここで疑問が出るだろう。合気道の手は剣を持つような、諸手づかいではなく、基本的には片手で技をつかうわけだから、剣の手で合気の技を掛けるのは出来ないのではないかということである。
その答えは、剣の手で、相手を投げたり抑えることは可能であるということである。これをよくやられておられたのが、過って本部道場で教えておられた故山口清吾先生である。正面打ち一教でも、二教、入身投げ等を剣で切り下ろされるようにされていた。
更に、剣の動きからいつでも合気の動きに、また、合気の動きから剣の動きに何時でも変える事ができるということであるし、できるようにしなければならない。剣を握っている手を開けば合気道の手になるし、剣を振り上げる手を合わせれば剣になり、開けば合気である。
この切り替えが上手く出来るかどうかは胸鎖関節と肩甲骨にあるようである。故に、ここのカスを取り、柔軟にしておかなければならない事になる。

合気道の動きは剣の理合いでやらなければならないと、植芝吉祥丸二代目道主は、「合気道の動きは剣の理合であるともいわれているほど、その動きは剣理に則している。故に徒手における合気道の手は、剣そのものであり、常に手刀状に動作している。」(合気道技法 P.44)と言われておられる。
剣づかいで、合気道の技をやってみるのもいいだろう。

また、吉祥丸先生は、合気道の技の半分は剣の技であると、「剣の道に経験のある人が合気道の動きを見ると、必ず剣の動きと同一である、と言われる。なるほど、合気道のどの技をとりあげてみても、剣の理法との一致点を見出すことができる。・・・合気道の技の半分は刀剣を使用しての技であることを知っておくべきである。」(合気道技法 P.252)と言われているから、剣も研究して、剣の理法も身につけなければならないだろう。