【第801回】 布斗麻邇御霊の形にはめ込む

長年、合気道の稽古を続けてきたお蔭でいろいろな事がわかってきた。その一つに、合気道の技を身につけよう、合気道の体をつくろうと稽古をしていたわけであるが、これまでは、そこには理がなく、只、がむしゃらに体と心を使っていただけである事が分かってきた。しかし、有難いことに、最終的な目標はあった。それは合気道の開祖、大先生である。大先生のような技をつかえるよう、そのためにも大先生のような体をつくらなければならないと思ったわけである。
しかし、大先生は、どのようにすれば大先生のような体をつくり、技がつかえるようになるのかを説明されなかった。それ故、最終的なイメージはあるものの、そのためにどのような稽古をすればいいのか分からず、これまで、只、がむしゃらに稽古をしてきたということである。

稽古には目標があって、そしてその目標達成のための方法・手段があるはずである。この両方がなければ上達はないということである。
この目標は大先生であり、大先生が求められたモノである。それは宇宙との一体化であり、宇宙となることである。
次に、この目標達成の方法・手段である。宇宙との一体化のための方法・手段ということになる。宇宙的方法・手段ということである。つまり、時間・時代や場所・空間に関係ない方法・手段でなければならないことになる。この時代だけには有効だがとか、この人には通用する、というものではないということである。

大先生は、「フトマニ古事記によって、技を生み出していかなければなりません」(武産合気P.77)と教えておられる。布斗麻邇御霊の形に合して技をつかい、体と息をつかわなければならないのである。
これまでがむしゃらにつかっていた技と体・息をこの布斗麻邇御霊でつかうと、これが合気道の技であると実感できる技が生まれる。前から書いているように、片手取り呼吸法でこれを稽古し、身につけているわけだが、今では、諸手取呼吸法、坐技呼吸法でもつかえるようになってきた。そして更に、正面打ち一教でもつかえるようになってきたのである。

これを更に進めていくと、すべての技は布斗麻邇御霊の形に合して生み出していく事ができるし、やらなければならないと確信する事になる。
どの技も、最初は ⇒  ⇒  ⇒  ⇒ と同じである。そして、これからいろいろな技が生まれることになるわけである。例えば、ここから手の平を内側に返すのが、呼吸法、四方投げ等であり、手の平が外に返すのが、坐技呼吸法、天地投げ、一教、入身投げ等となるのである。
この後は、⇒  ⇒ とみんな同じである。

合気道の技だけではなく、剣も杖もこの布斗麻邇御霊の形に則ってやる事ができるし、やらなければならないと思う。この剣や杖を合気剣、合気杖というのだと思う。
また、稽古の前後や自主的にやる柔軟運動も布斗麻邇御霊の形でやるといいようだ。体が柔軟になるだけではなく、強靭に鍛える事もできるのである。準備運動とは言え、武道であることを忘れないようにしなければならない。

技をつかうに当たっても、剣や杖をつかうにも、また、柔軟運動をするにも、この布斗麻邇御霊の形にはめ込んでやるのである。この布斗麻邇御霊が宇宙の法則に則ったモノ(技、体・息づかい)が技・体・息づかいの基準である。
一挙手一投足に、この布斗麻邇御霊の裏付けがなければならないのである。これができれば、これまでのがむしゃら稽古から脱出できるはずだと期待しているところである。