【第801回】 力を生む手

合気道は技を練って精進していく。技は手で掛けるので、手のつかい方が重要になる。入門当時の初心者の手のつかい方を見れば分かるが、手を無暗に動かして使っている。従って、手の力、所謂、腕力という力しか出ないので、大した力が出ないのである。
そこで、手と腹を結んで、腹との結びが切れないように手を使うと、それまでよりも大きな力が出るようになる。更に、手と腹を結んで、腹を動かして手を使い、技を掛ければ、更に大きな力が出る。

合気道の稽古を続けていて、度々不思議に思う事があるが、その一つに、こちらが上記のようにちょっと精進すると、受けの相手も精進し、攻撃が以前よりも厳しくなるのである。上記の例で言えば、相手も手だけの腕力から、腹と連動した手で掴んできた里り、打ってくるのである。そうなると、受けの相手と互角ということになり、技を決めるのは、またまた難しくなるわけである。

この互角の状況から脱しなければならないことになる。それには次の手のつかい方に変わらなければならないことになる。
それは息で、上記の手を腹でつかうのである。例えば、イクムスビの息づかいで、イーと息を吐いて手を伸ばし、クーで息を引いて手を拡げ、そしてムーで息を吐いて手と技を収めるのである。初めは、腹や手の肉体が息に先行して動くが、慣れてくると、息が手や腹の肉体に先行し、肉体を誘導するようになる。これが技を息で掛けるということだと感得する。
これで、相当強烈な力が手から出てくるが、これに頼っていてはその内に追いつかれることになる。何故ならば、この手のつかい方は、魄のつかい方であり、相対的で物質的・肉体的なつかい方であるからである。
故に、受けの相手が逆らえない、逆らう気を起こさせない手のつかい方をしなければならない事になる。

魄の稽古、相対的・物質的・肉体的稽古は、言ってみれば人為的な稽古であるから、人為的でない稽古に入らなければならないことになる。つまり、手や腹の肉体、それに息を非人為的につかわなければならないということになる。
それは最近の研究にある、宇宙の営みの布斗麻邇御霊の運化に従って、手や腹や息をつかう事である。
アーで天と結び、宇宙の中心に立ち、オーで地と結び、ムーで手を出して、腰腹を十字に返す。布斗麻邇御霊のからのである。
ここで大事な事は、手先と腰腹がしっかり結びつくこと、そして腹中の気を━と|に働いてもらう事である。これは意外と難しい。これを身につけるためには稽古が必要である。
最も分かり易いのは、呼吸法だろう。呼吸法で身につけるのである。片手取り呼吸法、諸手取呼吸法、坐技呼吸法である。片手取り呼吸法で身につけたら、諸手取呼吸法と坐技呼吸法で確認してみるのがいいと思う。
呼吸法でこの稽古をしていると、過って有川先生の片手取り呼吸法の受けを取らせてもらった時の感覚が蘇った。それは掴もうとした先生が出された手先に強烈な力がこもっていたことである。まるで親の仇と思っている相手に対するかのような強烈な力だったのである。今だから分かるのだが、先生は強烈な力を手先に出そうとされたのではなく、自然と力を生み出していたのである。今はこの感覚で、手先から力が生み出されるようにしている。
もう一つ、有川先生の教えがある。それは、我々稽古人達が片手取り呼吸法をやっていたが、なかなか上手くいかないのを先生は、手の甲でご自身の腰をトントンと叩き、「ここ(腰)から出ていないから駄目なんだ」と云われたのである。当時は、どのようなことなのかチンプンカンプンだったが、今、やっとそれが分かったところである。

力一杯、そして宇宙の営みに逆らわないで手を、腰腹と結んで縦横、そして十字につかうと、十字から気が生まれ、がっちり掴んでいる相手の身体は浮き上がり、後は自由に相手を導くことが出来るようになるようである。
今のところは、これが最強の力を手から生み出す方法である。