【第800回】 80歳、800回の後

合気道をやり、論文を書くようになって目標にしていたことは、先ずはともかく、80歳まで生きて稽古を続けることであった。そしてこの目標を達成する事が出来たなら、次の目標は論文を1000回まで書き続けることである。
この4月に80歳になったので、第一の目標はめでたく達成する事が出来た。そして80歳になったお陰で、何故、80歳まで生きたかったのかが分かってきたのである。もし、80歳未満だったなら、合気道の事も、自分自身の事も宇宙の事もほとんど知ることは出来なかったと思う。所謂、洟垂れ小僧だったわけである。洟垂れ小僧を脱し、一人前の人にならなければならないと思っていたわけだが、そのためには80歳にならなければならないと予知していたというであろう。

この「高齢者のための合気道」と他の3つの論文は800回となった。80歳の次の目標は、この論文を1000回まで書き続けることである。あと残すところ200回ある。毎週、書くので後4年かかることになる。高齢者にとっての先の4年は長い。一寸したことで体調を崩し、書けなくなり、中断ということになるかもしれない。其の時はその時として、出来るだけ書き続けることにする。要は、これからの論文は、最終章を迎えるための準備期間となるということだろう。

そこで、この後のこれらの論文の目標・テーマをどうするのかを、この800回を期に検討してみたいと思う。勿論、論文の基本は合気道の修業から生まれるものであるわけだから、合気道の修業の目標ということにもなるわけである。
先ず、これからの合気道で目指すモノを見てみる。
80歳に近づくに従って、真の合気道というものが分かり出してきた。これまでの魄の稽古から、目に見えない幽界での稽古に入ってきた。そして次に目指すモノが“魂”であることがわかる。これまで、腕力、体力などの魄力や魄、呼吸や息づかい、気や気力などを研究してきたが、魂が残っているからである。魂が解明できれば、合気道が真に理解できるはずだと思うからである。
また、合気道から真の合気道(武産合気)へ移行するために、フトマニ古事記の研究にも入ったので、その探究も続けなければならない。布斗麻邇御霊は気の運行であり、気を生み出す御霊でもある。そして気から魂を生み出すことも分かってきた。

合気道の最終的な目標は宇宙との一体化である。このために宇宙の営みの布斗麻邇御霊で体と息をつかって技を練っているので、これを引き続きやっていけば宇宙に近づけるものと考えている。
しかし、合気道の外の日常生活に於いても、宇宙との一体化を図る努力をしなければならないと考える。
最近、その進化があると感じたのは、自然に敏感になり、感動するようになった事である。例えば、四季の移り変わりに敏感になった事、草花の可憐さ、逞しさ、毎朝鳴き合う小鳥の声にである。また、無邪気に遊ぶ子供たち、指差し点呼をして真剣に働いている電車の運転手や車掌、他人のために一生懸命に働いている人々を眼前やテレビで見ても感動し、時には涙が出てくることが多くなった。

感動するとか、感激して涙を流すを、良しとするようになった。若い頃は出来るだけ堪えたが、年を取ったせいもあり、いいと思っているし、その方がいいと思うようになった。何故ならば、それが出来るのは自然になり、宇宙に近づいたという事になるからだと思うからである。合気道を学ぶにも、この素直さが必須であることも分かってきた。我があると宇宙の営みを技に取り込むことはできないのである。それ故、合気道は「自我の想念を無くするということ」「空を行ずる」とも云われるのである。
故に、これからは合気道でも日常生活でも我を無くしていく事に努めたいと思う。

それでは我を無くすためにどうすればいいかということになる。それは合気道の教えにあるから、そう難しいことではないだろう。それは、禊ぎである。肉体的な禊ぎと精神的な禊ぎである。これは毎朝やっているので、これを続ければいいだろう。只、肉体的な禊ぎと精神的な禊ぎの比重が、年とともに、肉体的なものが減少し、精神的な禊ぎの比重が大きくなるようである。特に、道場での相対稽古での肉体的禊ぎの比重はどんどん減少するような気がしている。

もし、1000回まで論文を書き続ける事が出来たなら、最後にどのような論文が出来上がるのか楽しみになるよう、稽古を続け、そして日常の生活を送っていかなければならないということになろう。
いずれにしても、これからますます生きていることを楽しみ、そして終末に、いい一生だと思いたいものである。