【第799回】 文字にする事

この論文も次回で800回になる。16年に亘って書いていることになる。これまでは何故書くのか、書き続けようとするのか等考えもせず、また疑問にも思わずに、只書き続けてきたが、次回が800回となるというのを意識したのか、何故、この論文を書いているのかを再度考えてみることにした。

まず一つの理由は、16年前に書くと決めて始めたからであろう。自分との約束をしたわけである。この「高齢者のための合気道」と他の三つのテーマの計四つの論文を毎週書くという自分との約束である。自分との約束を破るようなら、自分の存在意義もなくなると思うので、書いているのだろう。
二つ目は、書くことによって、合気道と自分自身の事が分かってくるから面白いからであろう。また、合気道と自分がわかってくると、世の中の事、天地や宇宙の事もわかってくるので、更に知ろうと書き続けるのである。次回、一年後が楽しみでもあるのである。
三つ目は、自分の考えた事、出来た事、体験したことを残して置くためである。従って、合気道の修業が続く限り、そして生きている限り書き続けることになるはずである。
人は、取り分け私自身は、物事をすぐに忘れてしまうし、また、過去にあった事に興味を持たなくなる傾向にあるので、その時の事を書いて置かないと忘れてしまい、忘却の彼方に行ってしまうからである。偶に以前の論文を読むと、自分で感心する事がある。また、これはあの時書けたが、もう書けないだろうと思うモノもあるのである。
四つ目は、合気道では“長老“となったが、これから修行に入ろうとする若い稽古人達に、私の経験や考え方が参考になればと思い書いていることもある。特に、今では大先生を知っている稽古人はほとんどいないようだからでもある。私の経験から、合気道から真の合気道に入り、身につけていくのは容易ではないはずなので、その為の参考になればと思っている。若い人、これから真の合気の道に入る人に、この論文を踏み台にして更に進んで欲しいのである。
以前にも書いたように、もし、有川定輝先生をはじめ、合気道の大先輩や武道の名人、達人がその経験や日々会得したことを文字に残してくれていたら、どれだけ我々の助けになったかと思うと残念である。秘伝とか口伝とか一子相伝などといって、それらが世に残らず消えてしまったのは、人類の大切な財産を失ったことになり残念至極である。更に、文字に残さないと後世、人は都合のいいように、そして往々にして誤った事を信じてしまうようになるので危険でもあるのである。

先日、朝日新聞(2021/7/25)の「皇帝ネロ 落書きが覆す『暴君』」(国末憲人世ロッパ総局長)に、ローマ皇帝ネロ(紀元37〜68)は稀代の暴君として名が通っているが、近年その評価が大きく変わってきて、彼は実は「名君」だったというのである。では何故「暴君」の汚名を着せられたのか?
あらましは次の通りである。
“コロッセロ考古学公園ルッソ所長は、「一種のポプリストだったネロは、大衆の支持を背景に政治を進めたため、元老院など支配階級に対立しました。だから、死後否定的に扱われたのです」という。

しかし、その評価を覆した一つが、当時の庶民の落書きだった。例えば、イタリア南部の遺跡ポンペイ出土のしっくい壁に無造作に刻まれた文字『皇帝が女神の神殿に足を運び、果てしなき黄金の輝きを発した』。この他の落書きにも、ネロの名は多いという。エリートによってつづられた公式記録がネロを悪者扱いしたのに対し、落書きは庶民の受け止め方を物語ります。彼は大衆人気を誇っていたのです。
文字を刻む行為は、歴史づくりに参画する営みに他ならない。偽りを大著に記すより、事実を片隅に遺す者でありたい。“

これで己が長年に亘って文字にしてきたことを改めて納得することができたし、これからも文字にする事を続けていかなければならないと思った次第である。