【第799回】 宇宙と人体とは同じもの

これまでわからなかった或ることが、ようやくわかってきた。それは大先生が云われている「宇宙と人体とは同じものである。これを知らなければ合気はわからない。」ということである。これまで合気もよくわからず、合気の技を産むことができなかった理由の一つに、この「宇宙と人体とは同じものである。」が分からなかったことのもあったようだ。

これまで書いてきたように、最近は、布斗麻邇御霊とアオウエイで技をつかっている。天地宇宙との一体化、宇宙の営みに合わせてやっていることになる。
この稽古をやるとこれまでと違い、相手に不快感を与えず、しかも強烈な技がつかえるだけでなく、己自身が気持ちがいい。自然であり、天地宇宙と合している気持ちになる。布斗麻邇御霊とアオウエイの稽古によって宇宙を感じるのである。体も心も喜んでくれるから、これはいい稽古法であると思っている。

次に宇宙と人体について記す。布斗麻邇御霊は宇宙の生成化育だけではなく、人体の生成化育も語っているのである。

天之御中主神御霊
まるきは母のほしみぞは父の一滴なり。草木一粒の種也。此の御中主の霊、交合まじわりのとき、引息と共に入て一滴の中に位す。故に身体は父母よりいただいてて、御霊は天より稟く。我身は即ち天地と父母との合体なり。

高皇産霊神・神皇産霊神 両神合体御霊
父の母のみぞみ母のみぞ亦父のを溺む。萬物溺むこと皆一なり。
是の如く水火いき動き回り水火興開きて溺々てついに鶏卵のごとく凝かたまりて五体の基をなす。

伊邪那岐神の御霊
胞衣の内に動ての形を作す。

胞衣の内に動ての形を作す。
言義は気いざないならぶ神と云う御名にして天地の陰陽双びてめぐり人の息双びて呼吸をなすの御傳なり。

伊予の二名島
出る息の正中に位して昇る御霊。
この御霊は伊邪那岐神のと伊邪那美神のみずとくみ合い玉ふ御形。息胞衣の内にくみ合て母体を出むとして吹義なり。人は十月にわたりて息胞衣の内に満々て自ら吹切て出るなり。

筑紫島
入る息の外を溺みて降る御霊
出息は水にして○(まる)なり、引息は火にして□(かく)なり。産るる時出息は胞衣を吹き割りて吹く息をもて生きるなり。(いき)のの中に収ることは口伝に謂う曰ふ可し。

大八島國
此御霊は出息の御(たま)と入息の御(たま)とくみて呼吸をなす。其のくみたる形。布斗麻邇の御霊より発けて天地日月いきを現わし人生まれて呼吸をなすの傳成り。故に此御霊は則ち天地なり人なり。

この引用文は、『大本言霊学』(出口王仁三郎著)から引用したものである。が、この本は山口志道の『水穂伝』である。

これで宇宙の創造と営みが人体の誕生と働きが同じであるから、「宇宙と人体とは同じものである」と云う事ができると思う。