【第797回】 身体の声に耳を傾ける

合気道は主に合気道の技を錬磨し精進していくが、その技をどのようなものにしていかなければならないのかを、原点にもどって考えたいと思う。
それは、まず、技として効かなければならない。己自身も、相手も納得できるような技である。
次に、違和感がない、自然で気持ちがいい技でなければならない。そのためには、例えば、足を右、左、右・・と規則的に動かさなければならない。そうすれば、身体は満足してくれる。

しかし、この規則が乱れると、身体は「そうじゃないだろう」と注意するし、あまり出来ないと、叱咤してくる。そうすると、身体は法則に則ってつかわなければ満足してくれない事がわかってくる。陰陽、十字、イクムスビ等の肉体的なモノである。
そして次は、これらを息でつかう事である。
しかし、身体の声は、これで完璧とは決して言ってくれない。上手くいったと思っても、駄目だ々と言い続けるし、上手くいくと更なる要求をしてくるのである。修業に終わりがないとはここにも理由があるようである。

身体の声を聞くためには、相対での稽古相手を倒してやろう、決めてやろう等思って技をかけてはいけない。自分の身体の声に耳を傾け、この体づかいはいいのか、この息づかいでいいのか、そして相手の身体の声と心も感じなければならないから、集中が必要になる。そのために、相手を見たり、相手の手、自分の手等を見るのではなく、身体で感じるようにしなければならない。

先日、『養老先生、病院へ行く』(X-Knowledge)を読んだ。養老孟司先生は解剖学や昆虫分野で活躍された方で、私が合気道界以外で尊敬する方の一人である。先生は84歳になられたようだが、病院嫌いでも有名である。先生が病院に行ったというだけで、このように本が出たのである。
この本の中で、先生は、今回の26年ぶりの受診は自分の身体の声に従ってであったと謂われている。また、先生は猫を飼われてかわいがっておられたが、「動物は身体の声に従って生きている」とも謂われている。
やはり、合気道以外の日常生活においても、身体の声は大事ということである。
尚、養老先生は、このためには、動物のように、自分を「まっさら」にしなければならないと言われている。

合気道に於いて、技をつかう際は勿論のこと、道場外の日常生活でも身体の声を聞いて、その声に従って活動しなければならないことが分かってきたわけであるが、ここに至ると次の声が聞こえてくるのではないかということである。
それは、身体の声が聞こえるようになると、音感のひびき、ことだまが聞こえる、感じるのではないかということである。
大先生は、「人の動きはすべてことだまの妙用によって動いているのです。自分が実際に自己を眺めれば音感のひびきで判ります。ことに合気道は音感のひびきの中に生れて来る。つまり音のひびきによって技は湧出して来る。ひびきも何もかも悉く自分にあるのです。」(武産合気P.49)と謂われているからである。 
先が楽しみである。

参考文献  『養老先生、病院へ行く』(養老孟司・中川恵一 X-Knowledge)