【第793回】 物理学と合気道の思考法
最近、また本を読むようになった。過っては本屋に立ち寄っては面白そうな本を買って読んでいた。また、今は読まないがいずれその内に読むだろうとか、読まなければならないだろうと思う本も買った。しかし、今は、これはという本を新聞の広告欄などで見つけたら購入し読むようになった。自分の研究のために何が必要なのかを、無意識のうちに常に探しているようで、それに合致するとその本を無性に読みたくなるのである。
この最近読むようになった本は、私にとっての本のカテゴリーの三種目になる。つまり、この三種目の他の二種目の本は引き続き読み続けている。一種目の本は、『合気神髄』『武産合気』であり、これは毎日読んでいる。二種目は、風呂の中で読む本である。以前は、司馬遼太郎、柴田錬三郎などの時代劇を読んでいたが、現在は『西遊記』を少しずつ読んでいる。一回読んだことがあるが、二回目を読んでいる。また、風呂の中では毎月一回送られてくる『VDMA MAGAZIN』という機械専門誌(ドイツ語)を読んでいる。
三種目の本は、所謂、合気道の研究に役立つ、他分野の本と云う事になろう。これまでこれらの本から得た知識や知恵を論文に書いてきた。これまでは主に第一種目の本から合気道を学び、研究してきたが、増々他の分野からも学ばなければならないと思うようになったということだろう。
最近購入した本は『物理学のすごい思考法』(*橋本幸士 インターナショナル新書)である。この書名を見て直観的に面白そうと思い、すぐ街に出掛けて購入したわけだが、そこにはやはり興味をそそられた何かがあったことになるはずである。それは今考えれば、合気道は科学であるという大先生の教えであると思う。つまり、合気道を科学としてどのように捉え、どのように修業していけばいいのかのヒントが得られるのではないかと感じたのだろう。
『物理学のすごい思考法』を読むと、合気道を科学として修業するために多いに参考になる事がわかった。どのようなことが参考になったのかを、その文章から拾い、合気道で考えてみることにする。○の文章は同書の引用で、斜字・太字が私の合気道の科学・思考である。
- 「物理学者というものは、常識の破錠している現象のウラに潜む法則を見つけるのが好きな人種だ」
合気道家も宇宙に潜む法則を見つけていくことであるが、常識にとらわれては法則をみつけることは出来ない
- 「物理学は実証科学である。科学とは、再現可能な実験によってのみ積み重ねられ、数式によって支配される学問体系である。」
合気道も実証科学である。同じ条件の下、同じようにやれば同じ結果がでる。誰が、いつ、どこでやっても同じ結果を再現できる。只、性が異なるために結果が違うように見えるが本質は同じであるはずである。
- 「この世界の自然現象は左右対称なものが多い。自然現象はなぜ左右対称なのか? それは、地球上の重力のためである。」
合気道の技も左右対称といえるだろう。片方だけではなく、左右で技をつかうのも左右対称のためだろう。つまり、左右対称の合気道はこの言葉を借りれば“自然現象”ということになる。
- 「自然は曲線を創り、人間は直線を創る」
合気道では、初心者の技は直線的であり、上級になると曲線になってくる。技は本来曲線である。人為的に操作した場合に限って直線になると思う。
- 「物理の研究で最も重要なのは、与えられた問題を解くことではなく、適切な問題を発することだ。問題を発することこそ、物理的研究の進捗の9割を占めるといっても過言ではないだろう」「自分で正しい問い方を与えれば、自ずとそこに解き方が現われるのである。『問題と同時に答えがある』
合気道でも初めのうちは何が問題なのかわからないものだ。何が問題なのか分かるようになればレベルが相当上がったことになる。また、問題を意識できれば、その問題はほぼ解決できたと云ってもいい。やはり、問題を見つけたり、問題に気づくのが大事なのである。
- 「物理学は、この宇宙で起こるあらゆる現象を数式にして、数学者が作り上げた微分や積分などの概念を駆使し、現象の理由を解き明かしていく学問である。」
合気道は、宇宙の営みの法則を見つけ、フトマニ古事記や布斗麻邇御霊などを駆使して身に付けていく武道である。
- 「科学において解くべき問題は、実はあらかじめ存在しているのではなく、自分の中から湧き上がるものなのである。解けるか解けないかのギリギリの問題設定をして、自分なりの解法を提示する。それが、科学論文である。」
宇宙の条理に則った技を練っていく合気道において解くべき問題は、各人が意識した時に出てくるもので、問題が待ってくれているわけではない。よほど真剣に合気道に取り組まなければ、問題も出て来てくれないし、解決法も出してくれない。
- 「理論物理学のあらゆる論文は仮設である。実際に物理実験を行って、理論仮設の通りに実験結果が出た時に、その仮説は自然の真理をつかんでいる、という段階まで格上げされる。その時が、まさに神の視点に近づいた瞬間である。なぜならば、自然こそが人間の集合知を超えた存在であり、自然の仕組みを解き明かすことが物理学という学問だからである。だから、神と人間をつなぐ位置にあるのが研究論文なのだ。」
合気道は、向かうべき目標とそのための方法がある。稽古によってその結果が出た時、宇宙との一体化、神との繋がりが出来たことになる。宇宙の仕組みを解き明かすこと、そして身に付ける事が合気道ということになる。
- 「物理学者は、研究の議論を毎日続けて、その研究の成果を論文として発表するのが仕事である」
合気道家は、合気道の研究を日々続け、その成果を技で表していくのが仕事ということになるだろう。
- 「物理学は、理論と実験の両輪で進んでいくものである。」
合気道も、理論と稽古の両輪で進んでいかなければならない。片方だけで進むことはできないということである。
- 「物理学は、一度整理したものをさらに美しく壊すものである。」
合気道も一度造り上げたモノを後生大事にしまい込むのではなく、また、壊してつくり上げていかなければならない。そうすればより美しい、よりよいものがつくられるということである。
- 「先日、唐突に、あるインタービューで『先生にとって研究とは?』と尋ねられた。僕はこう答えた。『趣味ですね』」
これと同じように、本部道場で教えておられた有川定輝先生は、「先生にとっての合気道は?に対して、『道楽』と答えられた。
私も有川先生の『道楽』と答えているが、最近は此れとはちょっと違った気持ちになってきている。それは『使命』である。
科学者の科学や仕事について見てきたわけであるが、合気道も科学であると再認識した次第である。
*橋本幸士(はしもと・こうじ)
大阪大学大学院理学研究科教授。1973年生まれ、大阪育ち。専門は理論物理学、超ひも理論、素粒子論。1995年京都大学理学部卒業、2000年京都大学大学院理学研究科修了、理学博士。東京大学、理化学研究所を経て現職。著書に『超ひも理論をパパに習ってみた』『「宇宙のすべてを支 配する数式」をパパに習ってみた』、共著に『ディープラーニング と物理学』 (すべて講談社)など。
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