【第793回】 息から気へ

気というものが少しずつ分かりかけてきている。ようやくこれこそが気であると感じる事ができるようになってきたし、どうすれば気が出るようになるのかがわかってきたようなのである。長い道のりだった。以前にも書いているように。無意識のうちには気をつかっていたし、気を出していたが、ようやくそれを自覚することができ、そして意識して出すことができるようになったということである。

これまでを振り返ってみると、気に辿り着くまではいろいろな過程があったことが分かる。その過程を簡単に言えば、合気道上達のための稽古の段階であったと言える。合気道の技を練っていく過程にあったのである。
大ざっぱに云うと、まず、①手を振りまわして技を掛ける。②次に、手先と腹を結んで、腹で手をつかい技を掛ける。ここまでは腕力や体力による魄の力で技を掛けることになる。③この②の魄力に息を加えて技を掛ける。が、魄主体で息が従である。④今度は?の腕力・体力を従にし、息を主体に技を掛けるのである。この息で技を掛けるようになれば相手を痛める事は無くなると大先生は言われている。⑤この④の息に気を加えて、息と気で技を掛けるのである。これまで無意識のうちに、技を息と気で掛けなければならないと書いてきたが、何故、息と気、息・気、息(気)等と書いてきたがよく解らなかった。それが何故かが分かった。
⑥気で技を掛けるのである。息もつかうが、あくまで気が主体である。息と気の違いは、息には吐いても、吸っても、止めても限界がある。つまり、息は続かないのである。そこにいくと、気には制限がない、自由である。例えば、話(説明)をしながらでも、気は出し続けることができるから、気力は衰えることなく、手先や体に満ちる気が減退することもなく、いい技が生まれ、収まるのである。息では、息が切れてしまえば、力も技も切れてしまうので、後は腕力で収めることになるわけである。過って、大先生や有川先生は説明をしながら、技を示されていたが、受けの相手は技が掛かったままで動くことも逃げる事も出来ないのが不思議であったが、それがどういうことなのかがこれで分かったわけである。

⑥の段階の気で技をつかうようになると、手や足を上げたり進めたりと動かすのではなく、気によって自然に動いてくれるようになる。これによって技は生むのではなく、生まれるようになる。大先生の技の素晴らしさ、美しさ、強さはこの気によるものであると思う。

この段階になると気を感じ、気を出し、気に働いてもらう事ができるようになるから、ここから気を練ることになる。そうすれば、“魂“の段階に進めるはずである。