【第790回】 ハチドリのひとしずく

以前から書いていたように、職を離れてからは、傘寿(80歳)になることを目標にしてきた。お陰で傘寿を迎える事ができ、そして早や一か月が過ぎた。
傘寿までは何とか頑張ろうと思ったのは、65歳で定年を迎えて体調を崩したことによる。この状態ではいつ倒れてもおかしくない体調だったのである。朝起きると頭がくらくらしたし、道場稽古でも受け身が取れない状態だったのである。これでは不味いと思い、健康な体に戻そうと、塩分を控えたり、ビールやお酒等のアルコールを飲むのを止めた。そして何とか80歳までは生きなければならないと自分に言い聞かせたのである。
何故、80歳かというと、合気道の研究がまだ道半ばであり、80歳ぐらいになれば少しは合気道の研究がまとまるのではないかと思ったからである。

傘寿になって一か月以上が経っているが、以前と変わってきたことがあることは確かである。まず、以前から書いているように、80歳までは洟垂れ小僧でいいが、傘寿を迎えたら一人前の大人になりたいと言ってきた。一人前の大人になったかどうかは分からないが、少なくとも洟垂れ小僧に戻らないよう、一人前の大人になるように努力しているのは確かである。

傘寿になったためかどうかははっきりわからないが、以前と比べて変わってきたことがある。
一つは、目に見えるモノより目に見えないモノ、物より心の重要性や興味を持つようになった。これは傘寿以前からその傾向に会ったが、今はそれが更に強くなってきた。

二つ目は、感動することが多くなってきたことである。感動はモノにではなく、心に感動する。例えば、無邪気に遊んでいる幼児、人のために一生懸命に活動している生徒・学生たち、世のために働いたり、活動している人々などに感動するのである。
合気道的に云えば、“愛”に感動するということになろう。“愛“に何故感動するかと云うと、愛は宇宙生成化育のための働きや活動から生じるからであると考える。彼らは愛で働き、活動しているということだろう。

三つ目は、周りのモノや事に敏感に反応するようになり、感動したり、感激することが多くなった。朝日や夕陽、鳥の声、草花などなどの美しさ、荘厳さ、いとしさ、愛らしさ等に感動するのである。
また、映画を見たり、本や新聞などでも感動し、涙することが多くなった。
例えば、先日見た新聞に南米アンデス地方の話が載っているのを見て感激した。タイトルは『ハチドリのひとしずく』、筋は、「森火事に一滴ずつ水を運ぶハチドリに対して、森から逃げた動物たちは「そんなことして何になるのだ」と笑います。 ハチドリは「私は、私にできることをしているだけ」と答えました……。」である。
何故、この話に感動したかというと、自分のやろうとしていることとその意味を教えてくれたように思えからである。己の合気道研究は一滴ずつ水を運んでいるようなものだが、己のできる事をやるだけだということである。

四つ目は、すべてのモノ、万有万物は己と結んでいることが感じられるようになった事である。大先生が言われた、人はいうに及ばず、万有万物は家族であるということが分かってきたことである。

これだけでも、傘寿を迎える事ができたことに感謝である。これに甘えて次の目標を云わせて貰えば、今書き続けている論文を1000回まで書くことである。年数に換算すれば約4年である。1000回まで書くことが出来れば、もう少しまともなものが書けるのではないかと期待するからである。まあ、あちら様の都合もあるだろうし、決めるのもあちらさんなので、こちらでは決められないのが残念なところである。頑張って描き続けるだけである。それが4年続き、1000回になればいいわけだ。『ハチドリのひとしずく』である。