【第79回】 良師との出会い

昔から良師はじっくり時間をかけて探せと言われている。良師に出会えるかどうかは人生を大きく左右する。

世の中には、自分の生き方に助言や支援をしてくれたり、学問や知識を教えてくれる人は多くいる。親、友人、先輩、教師などは師でもあるだろう。しかし良師というのはそれ以上のものである。良師というのは自分の生き方にとてつもない影響を与えてくれる人である。自分のやるべきことを分からせてくれ、間違いを軌道修正してくれ、努力する意義を教えてくれ、生きる智慧と張り合いを教えてくれるひとである。

世に名を残す人の多くは良師に恵まれた人といえるだろう。「生(な)せは生る 成さねは生らぬ 何事も 生らぬは人の 生さぬ生けり」で知られる、幕末、米沢藩の破綻状態にあった財政を立て直した上杉鷹山(うえすぎようざん)は、若殿のときは気弱で名君になるには程遠いと言われていた。しかし、江戸の裏長屋に住んでいた学者、細井平州(ほそいへいしゅう)が若殿(冶憲)の師となり教育した結果、後世に名を残す上杉鷹山が出来上がったのである。もし上杉冶憲が細井平州に出会っていなければ、藩の財政建て直しもできず、世に名を残すこともなかっただろう。

年をとって過去を振り返ってみると、よくもこの良師との出会いがあったものだと、偶然とも思われる出会いに摩訶不思議を感じる。良師との出会いは偶然の連続の上にあるからである。怠け者の私の場合も、良師に出会わなければ合気道を続けることもなく、他のことをやっていたか、または合気道をやっていたとしても別な方向にいってしまっていたと思う。
その良師はこの世にはいないが、常に良師が傍にいて厳しく見守っていて下さり、一緒に修行してくださっていると思いながら稽古をしている。良師とは死生を超越した存在であるとも言える。良師を得られたものは幸せである。