【第787回】 引く息は火

合気道で技を掛ける際は息が大事である。息を上手くつかわないといい技にならない。息とは呼吸とも云う。息を上手くつかうとは、息を法則に合してつかう事であり、いい技とは、宇宙の運化に反しない技である。
しかし、息のつかう方に注意して稽古をしている稽古人は少ないように見える。また、他の武道や日常生活に於いても息づかいや呼吸は余り重視されていないようだし、無視されているようにさえ見える。
通常、人や動物は無意識の内に息をしているし、不便を感じないで呼吸しているので、合気道の相対稽古でも無意識でやるやすいようにするのだろう。

だが、稽古を長く続けて行くとわかるようになるはずだが、合気道での技づかい、体づかいの息づかいは、それまでの日常とは異なるのである。何故ならば、日常の息づかいは魄力に頼ることになり、争いになったり、体を壊すことになるのである。
また、息を吐くことを主体に体をつかっていくと、若い頃は元気に稽古をし、生活していけるが、70歳、80歳の高齢になると、体が棒のように硬くなり、手足を動かすにも、歩くにも弾力性のない動きになってしまうものである。

合気道では、息を吐き、吸う事を、息を吐く、息を吸うという。息を吐くは一般的であるが、息を吸うと云わずに、息を引くというのである。確かに技をつかう際の息は、吸うではなく、引くの方がぴったりすると感じる。何故ならば、息を吸うは、口や喉で息を入れていて、金魚のパクパク口のようである。だが、息を引くは、体全体に息を入れていく感じがするからである。

合気道では、吐く息を水であるといい、引く息を火であるという。これが分かるまでは多少時間が掛かるはずであるが、実感できるようにしなければならない。
しかし、これはそれほど難しいことではない。素直にそれを信じ、自分を信じれば誰でも容易に分かり、それを実感できるはずである。それを難しくするのはそれを信じない己の心であり、それを変えなければならない。
例えば、受け身の際、二教裏で手首を極めさせる時、初心者は息を吐いて頑張るものであるが、以前にそのような稽古をしてきた我々には、本人が思っているほどの力は出ておらず、容易に極めることができるものである。息を吐いて頑張る力は魄の力だからである。魄の力は弱いのである。大先生がそう言われている。
それではこの魄の力よりも強い力を出せるのはどんな力かというと、息を引いて出す力である。従って、二教裏の場合は息を吐いて頑張るのではなく、息を引いて耐えるのである。受け身での己の手首の鍛練にもなる。技を掛けてる取りの側もここでは息を引いているので、お互いに練り合う事になる。これが鍛錬である。
この二教裏で明白になったと思うが、吐く息は水であり大きな力が出ないのに対し、引く息は火で大きな力(エネルギー)が出るのである。

前述のように、技や体を、息を吐いてつかうことは容易である。それが本能であり、日常でもつかっているからである。それに対して息を引くの息づかいは容易ではないはずであるから、意識してその稽古・鍛錬をしなければならないだろう。
それではどのような稽古をすればいいのかということになるが、それも大先生は、次の様に教えて下さっておられる。
「日本には日本の教えがあります。太古の昔から。それを稽古するのが合気道であります。昔の行者などは生産びといいました。イと吐いて、クと吸って、ムと吐いて、スと吸う。それで全部、自分の仕事をするのです。」(合気神髄P101)
このイクムスビの息づかいで技をつかう稽古をすることである。特に、引く息のクーで大きな力が生まれるのに驚くはずである。
このイクムスビでの稽古をしていくと、力も出るし、技も上手く掛かるようになる。そしてまた、息の出し入れにより、肺や腹の内臓が丈夫で柔軟になりかなり鍛えられる。

言うなれば、このイクムスビの息づかいは見える次元の息づかい、顕界の息づかいといっていいだろう。
次の息づかいである。大先生は、「魄力でやってゆく国は、最後は上手くゆかない。阿吽の呼吸でやってゆくこと、あくまで魂を表に出すことである。魂の力をもって、自分を整え、日本を整え、神を表に出して神代を整え祭政一致の本様に則ることである。」(武産合気 P.103)と教えておられる。
この阿吽の呼吸をやっていると感じるが、阿吽のアは息を出すと共に、息を引いている息で、陰陽・裏表兼ね備えた息であり、魂が魄の表出てくる息と感ずる。この息づかいは前者と異なり、目に見えない次元、幽界の息づかいと考えている。

三つ目の息づかいである。
「以前、神通千変万化の技を生み出す、ということは真空の気と空の気を、性と技とに結び合ってくり入れながら、技の上に科学すると申し上げたことがあります。これは皇祖皇宗のご遺訓たるところのフトマニ古事記によって、技を生み出していかなければなりません。」(武産合気P.77)と大先生は教えておられる。布斗麻邇御霊の息づかいである。
息と体で、布斗麻邇(ふとまに)の御霊の姿を現すのである。

○は吐く息の水、□は引く息。、━は引き息である。|は吐く息。布斗麻邇御霊の息づかいは吐いて引く、吐いて吐く、引いて引く、引いて吐く等と二つの息づかいを同時にする複雑な息づかいである。
この息づかいは、宇宙の営み・運化の息づかいであり、最終的、究極の息づかいであると考えている。
この布斗麻邇御霊の息づかいによって、「引く息は火」であることを更に実感するはずである。