【第786回】 手先の十字から気を

気というものを長年研究しているが、まだまだ解らないことが一杯ある。が、少しずつ解明していることも確かであるから、いずれ分かったと云える日が来るものと考えている。

真の合気道(武産合気)は気が出てくるようにすることのようだ。それはどういうことかというと、地球修理固成に神習い布斗麻邇の御霊から割れ別れし水、火をいただいて、研修のすえ出生する魂の気を現わしていくことであるというからである。つまり、技と体を布斗麻邇の御霊の営みに一体化していけば気が現われるということであり、合気道は魂の気を出して技に現わさなければならないということである。
これを大先生は、「合気道は、真の日本武道であります。それは地球修理固成に神習い布斗麻邇の御霊から割れ別れし水、火をいただいて、研修のすえ出生する魂の気を、人類のうちに現わしていく事であります。」(合気神髄P64)と教えておられる。

尚、大先生はここで気と言わずに魂の気といわれておられるわけだが、気と魂の気について考えてみることにする。
一般的に、気には、出す気と出る気がある。出す気は気を出すといい、意志、心によって出す気である。
気にはもう一つある。出る気である。この気は無意識、無心で出てくる気である。人の意志や心ではなく、他の何かによって出てくる気である。その何かを大先生は布斗麻邇の御霊と言われているわけである。これを大先生はここで魂の気と言われていると思う。

布斗麻邇の御霊で技と体をつかう稽古をしていると分かるが、布斗麻邇の御霊の七つがすべて気を生むということはなく、気を生む御霊は伊予の二名島である。気は十字で産まれるからである。
この十字から気が出ることを実感するに、手先・足先を十字につかい、をつくることによって気を出し、そして気が出るようにするのである。
具体的な例を挙げれば、片手取り呼吸法で、手を相手に取らせるとき、
(0) 取らせた手先を縦のばし、(これは伊邪那美神の御霊
(1) 更に手の平をに拡げ、
(2) 手先から手をに伸ばす
これで縦横十字のとなり、気が出てくる。そしてこの気は無意識の魂の気であるはずなので、相手の気と結ぶことになり、この気で技をつかうことが出来るようになる。

先ず初めは、意志や心によって気を出す稽古をし、次に魂の気が出るように稽古しなければならないと考える。