【第786回】 魄を土台に魂で

合気道は魂の学びであると教えられているので、魄に頼らずに魂で技をつかおうとしているが中々上手くいかない。魄を土台にし、その上に魂を載せてその魂で技をつかわなければならないわけだが、相手により、また、時として上手くいくこともあるが、魂で技を掛けているような実感がない。

このように出来るようで出来ない状態、分かったようで十分に分かっていない状態にあるところで、一冊の本のことばに出会い、この状態から脱することが出来るのではないかと思った。
その本は、今年の三月に107歳で亡くなられた美術家・篠田桃紅さんが遺された「人生のことば」を集めた『これでおしまい』である。
そして多くのことばの中で、私のこの疑問を解いてくれるのではないかと感じた言葉が、「歳を取って、だんだんと腕力で引く線の力は薄らいで、線に込める心の部分が出てきている。」である。

篠田桃紅さんと作品
歳を取るに従い腕力は衰えるので腕力を使わなくなるが、その分より心をつかうようになり、よりよい作品になるということだろう。腕力を使わないので描く線は薄らぐが、心を込めた心の線がくっきりと出るということである。

これを合気道に当てはめて解すれば、大事な事は、腕力を使わないが、それはこれまで最大限に培っており、その培った腕力を直接使わないが、それを土台にして土台の上に心を載せて、心で描くということであろう。
従って、合気道の技を魄力ではなく、この篠田桃紅さんのことばの「心」でつかえばいいわけである。そして段々と、この「心」を「魂」に変えていけばいいと考えている。今のところ、「心」とは己の意志、念、精神で、自分で出したり引いたり制御する人的なものであり、「魂」は自分の外の世界・次元に働く非人工的ものであると考える。また、「心」は意識の世界、「魂」は無意識の世界で働くものと考える。
そして、「心」と「魂」が一つに合するとき、魄の力に勝る大きな力が創出することになるのだろう。篠田桃紅さんのお話では、作品は無意識で描いておられるというから、「心」と「魂」が合体した状態で描かれているということになろう。
篠田桃紅さんは107歳。傘寿の80歳で一人前などまだまだだと思わされた。まだまだ先輩方に教わることはあり、尽きることはないようである。


参考資料:『これでおしまい』 篠田桃紅  講談社