【第785回】 自惚れ

傘寿(80歳)になった。合気道の稽古を始めてから半世紀以上になる。お陰で、合気道の事、宇宙の事、自分の事が大分わかってきた。この為に合気道を修業してきたわけなので、取り敢えずは一段落というところだが、更に修業に励まなければならないと思うようになる。
今までと同じような稽古をしていれば、その線上にある結果は想像がつき、それでは満足できないことも分かる。これまでの修行の線と別線上を進まなければならないということである。

別の線上を進むために、まず、年を取りながら修業をする上での長所と短所、いい点と悪い点を見極めなければならないと考える。
まず、長所・いい点である。年を取ることは、長年稽古する事であり、技を覚え、合気道を深めることであり、また、稽古日数や年齢の少ない後進達の事が見えるようになってくることである。
次に短所・悪い点である。それは何といっても体の衰えである。腕力や持久力という魄の力が衰えることである。これは宇宙の法則のようでどうすることもできない。
これからの修行は、これらの長所・いい点を伸ばし、そして短所・悪い点を減少したり、その代替に働いてもらうようにする事だと考える。
長所・いい点を伸ばすために、稽古を少しでも長く続け、技を錬磨していかなければならないことになる。
短所・悪い点のために、体の衰えの速度を少しでも遅くするよう、道場の相対稽古で体を鍛え、腕力と持久力をつけ、また、毎朝、禊ぎをすることである。また、腕力や持久力の魄の力を補充するために、気や息による魂の力が創出するようにすることである。

さて、上記で、年を取っての長所・いい点で、“稽古日数や年齢の若い後進達の事が見えるようになってくること”と書いて、説明を飛ばしたが、今後の上達に関係があると思うので、分けてここに書くことにする。

後進達は、私よりも稽古日数も少ないし、人生経験も少ない。気をつけなければならない事は自惚れである。彼らと比べて、自分は上手い、強くなったと思う事である。
上手い下手、強い弱いはその比較する対照によって変わる。己を弱い下手なものに比べれば強い上手いとなるが、強い上手い先生、例えば大先生や有川先生に比べたら“すっぽん”である。大先生や有川先生が目の前に居られたら、自分の未熟さを痛感するはずである。

何かで読んだ話だが、ある落語家が高座で話しているのを、別の落語家の師匠と弟子が聞いて、弟子が「下手ですね」と言うと、師匠は「お前と同じぐらいだ」と言ったという。更に師匠は、「自分と同じぐらいだと思ったら自分より上、自分より上手いと思ったら自分より相当上というものだ」と言ったという。人が如何に自惚れしているかの戒めの例である。
この話は以前どこかの論文で書いているが、大先生や有川先生の目から見れば、後進も己自身も、どっこいどっこいのどんぐりの背比べということだろう。
これからの線上での大事な事は、修業で自惚れは駄目だということになろう。