【第785回】 合気は科学である

これまで何回か「合気は科学である」について書いてきたが、最近、合気道は科学であり、合気の技も科学であることに痛感したので、改めて書くことにする。

合気道は目標に向かって、技を練って精進していく。合気道の修業の目標は宇宙との一体化である。己が宇宙と合し、宇宙になる事である。己が合し、一体化する宇宙は理合いで産まれ、秩序をもって営まれ、運化している。宇宙の創造・営みは科学であり、それに一体化する合気も科学ということになる。大先生はこれを、「合気は天の科学である。精神科学の実践を表しているのである。」(合気神髄p176)と言われておられる。合気道はこの天の科学で進む合気の道ということになる。

それでは宇宙の科学、天の科学とは何かということになる。それは大先生が言われる「フトマニ古事記」である。つまり、布斗麻邇御霊の営みである。この営みによって宇宙が生まれ、万有万物が生成化育しているという科学である。この布斗麻邇御霊の営みに則って技と体と息をつかえば技が生まれるのである。7つの御霊にしっかりと合すれば、誰でもいい技を創出することが出来るわけだから、天の科学なのである。

また、練っていく技も秩序立ったものである。秩序立つというのは、科学ということでもある。やるべき事があり、それを順序よくやっていけば結果が出る。誰がどこでやっても同じ結果が出るわけだが、実際には上手くいったり上手くいかなかったりする。人の能力や性が異なるからである。勿論、間違えてやれば、出てくる結果も違ったものになる。これも自明の理の科学の基本である。
例えば、陰陽十字は技をつかう上で必須である。体を陰陽十字につかわなければ、決していい技にならない。陰陽十字は法則であり、科学ということになる。
更に、先述の天の科学の布斗麻邇御霊の営みに合して技をつかわなければならないわけだから、技も科学的に生み出さなければならないことになる。これを大先生は、「技はその造化機関を通して科学化されて湧出してくるものである。」と教えておられるのである。

尚、科学とは、一般的には狭義で自然科学を指すが、広義では、「再現性」や「客観性」、「論理」的な推論の過程を重視する学問的態度を指すという。
合気はこの狭義と広義の科学であると考えるが、いずれにせよ、合気は科学であるということを自覚して修業に励んでいかなければならない。


参考資料  ウィキペディアフリー百科事典