【第784回】 手の平を拡げる

合気道の技は手で掛けるので、手が大事である。これを過って大先生から伺ったこともあるし、また、当時は、手がなかったり、手が動いてくれなければ技を掛ける事はできないのだから手が大事なことは当然だろうと、深く考えなかった。
しかし、最近になるとこの大先生の「手は大事」の教え、そして大先生の教えの深さがやっと分かるようになってきた。つまり、「手が大事である」という意味は、手を上手につかわなければ技は掛からないということであり、いい技を産みだすためには、手を大事につかえて言う事なのである。

そこで先ず、手を大事につかうとはどうするのかということになるだろう。
道場の相対稽古で、相手が思い切る打ってきたり、掴んでくる手を制し、導くのは容易ではないはずである。手を大事につかっていなければ、強い力で打ち込まれてしまい、受けた手が上がらなくなったり、動かなくなるし、手を強く掴まれれば、掴まれた手が動かなくなったりしてしまう。相手の力に負けてしまうわけである。これでは技をつかう事ができない。

この手を大事につかわないと、手はどのようになっているかというと、①手の関節(指、手首、肘、肩)がバラバラにつかわれていることである。②腰腹から手先まで一本にならず、手先と腰腹が繋がっていない事であり、また、③腰腹から手先に気が流れていない事である。④手の平が縮んでおり、気で手の平が拡がっていないことである。尚、“気“(生命エンルギー)が難しければ”気持ち“に置き換えてもいいと思う。

①~③まではこれまで書いてきたので、ここでは④の手の平について書くことにする。
手の平は、内にまるまるのが普通である。所謂、握り込むことである。赤ん坊の手は握るのが主で、拡げる、開くことはない。故に、まるまろうとする手の平を、拡げることは意識して稽古をし、身に付けなければならないと思う。
しかし、意識しても、手の平を伸ばしたり、拡げるのは容易ではないはずである。喩え、力んで手の平を拡げても、その後はまた縮んでしまうから、技にはつかえない。

手の平を拡げるためには息に合わせなければならない。先ずは、イクムスビのイーで手の平に気(息)を入れ開き、クーで思い切り息を引き乍ら手の平を更に開き・拡げ、そしてムー息を吐いて手の平を更に々拡げるのである。このイクムスビの息づかいで、手の平を拡げて技をつかうといいが、これが出来るようになれば、次は、布斗麻邇御霊の営みに、あおうえいの息づかいに合わせて手の平を拡げ乍ら技をつかうのである。初めは、あー(天之御中主神御霊)で、腹と手の平に気を入れ手の平を膨らまし、おー(高皇産霊神・神皇産霊神御霊)で息を出しながら手の平を拡げ、更に、うー(伊邪那岐神御霊・伊邪那美神御霊)・・・・とどんどんと手の平を拡げていくのである。大先生の手が鉄棒のようだったと、後に門人となった元大関の天竜さんが言われていたのは、このように手の平を拡げて出来た手の感じではなかろうかと思う。

手の平が拡がるようになると、手先に気が通りやすくなるようだ。腰腹からの力(エネルギー)が手先・手の平から出るようになり、相手の気と合し、そして気で相手を制し、導くことが出来るようになる。そして気で体を導き、気が体の先、上になるということである。これが魄を土台にその上に魂が働くの魂とつながっていくように思う。
この気が体を先行して、気が体を導く感覚を得る最良の稽古法が、相対での転換法(片手取り逆半身)だろう。そしてこの転換法から、呼吸法に入って行けばいい。

相対稽古の受けの相手に打たせたり、掴ませる際は、手を拡げることが大事なのである。
尚、手の平を拡げる際、手の平側(内側)に気と力を入れ、手の甲側に入れない事である。これは有川定輝先生が過って教えて下さったことである。手の甲側に力を入れると、手先までの気が止まってしまうし、気で手が動かなくなるようである。