【第783回】 老いを感じること
前回書いたように傘寿の80歳となった。この年になると流石に年を感じるようになる。70歳ぐらい前には、年を感じた事はなかったし、年を取り老いるということが分からなかった。70歳以降もこのまま元気で生活が出来、合気道の修業も続けて行けると思っていた。
しかし、傘寿を待たずして老いを感じるようになっていた。ということは、老いは気づかない内に、着実に進んでいたわけである。
それではどのように老いを感じるようになったかを白状すると、次のようなものである。
- 先ず、身体の衰えである。私の場合、体重が減る傾向にあるので、先ずは体重を増やすよう、少なくとも減らないように、食事や睡眠などを気遣っている。また、特に、足腰が弱わる。足腰が弱ると、下肢の働きが弱くなり、体の下にある血液を心臓まで送るのが順調にいかず、血液が全身に行きわたらず体調不調としてしまうようである。足腰の衰えを少しでも抑えるよう、なるべく歩いたり、階段をつかったりしている。また、道場では、稽古前に前受け身を10回程するようにしている。
- 目と耳も衰えている事は確かである。字を読んだり、書く時はメガネを掛けるようになったし、小さい声や不明瞭な声は聴きづらくなって、よく聞きかえすことが多くなってきた。以前なら衰えた目や耳を改善しようと何かやっただろうが、今は、この衰えを受け入れている。いずれ見えなくなったり、聞こえなくなるかも知れない、その覚悟である。しかし、毎朝の禊ぎで目と耳と口鼻を禊いでいる。
- 体力の衰えを感じる。特に、腕力の衰えは明瞭である。元気な若者と腕力でやり合えば、とてもではないが制する事も抑えることも出来ない。過ってはこの腕力でやっていたはずなのに、それが出来なくなったのである。しかし、悲観しているわけではない。何故ならば、それに代わるより大きな力をつかうことが出来るようになったからである。だが、腕力、体力は大事である。気や魂の力を出すための土台であるからである。従って、これからも、否、修業の終焉まで腕力、体力は鍛え続けなければならないと考えている。
- また体力の衰えで特記したいのが、指先の力が弱くなる事である。若い頃になんでもなかった事が、指先の力で難しくなるのである。例えば、缶ビールや缶ジュースの開け蓋が開けられなくなるのである。これは私だけではなく、力自慢の武道の大家でも同じようなので、老いの一つの法則であるようだ。例えば。大東流合気柔術佐川幸義師範の直弟子で高弟の木村達雄氏は、自著『合気修得の道』(合気ニュース)の中で、「佐川先生はその頃さすがに筋肉の力が衰え、カップラーメンのビニールのカバーが破れないとよくいわれていた。」と記している。
- 持久力の低下である。これまでのように長い時間の稽古が出来なくなってきた。しかし、これは余り気にしていない。短時間でも集中した稽古をやればいい。有川定輝先生は一回の稽古時間で3分間集中してやればいいと云われていた。だらだら長く稽古をするより、短くとも集中した稽古の方がいいということである。
尚、道場の外の日常生活でも持久力の低下を実感する。例えば、合気道研究所の論文を書くにも、過っては一度に二つ、時には三つの論文を書けたが、今では一つが精いっぱいである。
このようなことから、己の老いを感じているが、それを悲観しているわけではない。大事な事は、人も自分も確実に老いる事を自覚する事であるが、それを悲観するのではなく、楽しむことだと考える。この老いが、これから先どのような発展があるか心配もあるが、楽しみでもあるというわけである。
尚、近い内に、自分が実感する老いのよさ、長所を書いて見たいと思っている。
参考文献 『合気修得の道』(木村達雄著、合気ニュース)
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