【第781回】 「あ、お、う、え、い」で体と技をつかう

合気道は技の形を繰り返し乍ら精進していく。それほど多くない基本技(形)を何百、何千、何万回とくりかえしていくのである。合気道の修業を続ける限りこの技の稽古は続くことになる。
初心者の内は、技を繰り返していく事によって、自然と形を覚え、体も出来てくることもあって上達していることを意識出来る。そして同輩や後輩を投げたり抑える事が出来るようになり、ますます上達感を持つようになるし、それが上達だと思うはずである。そして更なる上達の為に更に相手を投げよう、抑えようとなっていく。これが初心者の一般的な上達感であろう。勿論、私自身も過ってはそうであったから、誰もが通る道なのだろう。

しかし、この上達法と上達感には限界があることが分かってくるものである。何故ならば、この上達の段階では、相手を意識した、所謂、相対的な稽古における上達になるからである。簡単に言えば、相手が弱かったり、力不足なら投げることも抑えることも出来るし、そうでなければ手も足も出ない事になる。
この次の上達の段階に入らなければならないことになる。先述の相対的、人間相手の上達ではなく、絶対的な上達である。
それは宇宙の営みの法則を身につけていくことである。更に、宇宙の営みと
法則に己を入れ込んでいくのである。宇宙と一体となるわけである。
今回は、スペースの関係でこの二つの段階を一緒にして研究することにする。

これまでの自分自身もそうであったわけだが、一般的な稽古人は、相手に依ったり、時や場所によって技や体のつかい方がばらばらで一定していないと言える。過っての大先生の動きや演武を思い出してみると、いつも同じで、間違いはなかった。また、剣の動きも杖の動きも体術と同じであったことを思い出す。つまり、大先生の体と技づかいには、何かやらなければならない、破ってはいけない法則のもとに行われていたという事になると思う。
それが、大先生が言われる、宇宙の法則、宇宙の営みの法則である。

その宇宙の法則の一つが布斗麻邇御霊の営みと「あ、お、う、え、い」の息づかい・体づかいであると思う。合気道の技と体を麻邇御霊の営みに従い、「あ、お、う、え、い」でつかっていくのである。これは宇宙の法則であるから絶対的な法則ということになり、これに合すれば上手、反すれば間違い、また、宇宙の法則を広く身につけ、深く身につけることがこの段階での上手・上達ということになろう。

これまで分かった「あ、お、う、え、い」の息づかい・体づかいを記してみると次の様になる。

あ、口の中を拡げて“あ”と発すると腹中が広がる。体と心が宇宙に拡がる感覚。
「ア声を出しながら暫次口をつぼめて唇のまさに、相合わんとする時に自然成り出すのはオ声です。」(合気神髄p.73 以下同)

お、“お”と声を発すると体が天と地を結び、天のところで右に螺旋で舞い上がり、地のところで左に螺旋して舞い降りる。この螺旋が感じられない場合は、意識して右の螺旋、左に螺旋をするとしっかりと天と地の縦に体が結ぶ。この縦に体と息がしっかり結んでいないと次の“う”に上手く移れない。
“あ、お”を体でつかう最適な方法は一教運動であると思う。一教運動で“あ、お”の息づかい。体づかいを身に付けるといいと思う。
「オ声を出しながら口を全く塞ぎきる時、自然に鳴り出るのはウ声です。」

う、縦の“お“から、”う“と息を発しながら、腹中を横に拡げ腰を横の十字に、そして腹中の息を縦に吐き、腹中を縦に伸ばし十字の玉を生み出す。伊邪那岐神と伊邪那美神の働きである。
「ウ声を呼びながら舌をもっと下顎に突いて、杙のごとく、喰い入らしたなら(塞ぎきった目を一転して裏に開く形)、自然に「エ」と鳴ります。」
 
え、ウ声を出しながら伊邪那美神のところで息を吐き切ると、今まで吐いていた息が引く息に自然に返る。筑紫島が出来る。エネルギーが体にも息にも溜まった状態なので、ここから大きな力を出したり、剣を切り下ろすことが自在にできる事になる。

い、「次にエ声を呼びつつ全く口中の気息を転回し、圧しつくす時は、自然に「イ」と鳴ります。」
剣を切り下ろす場合や相手を投げたり極める際自然と「エイ」と声を発するものだが、その「イ」である。布斗麻邇御霊的に云えば、の形に息を吐いてを載せ、の形をつくり、技を収めるの、技の最後の形である。

技や体や息をつかうに当たって、絶対的な法則、宇宙の法則があると考えなければならないだろう。これからは、その法則に合するように、宇宙と一体化していくことが上達への道ということになると考える。