【第781回】 骨をつくり上げる

手を動かしてみればわかるが、手はただ動かせば、上げたところの末端や伸ばしたところで止まり、それ以上は上がったり、伸びたりしなくなる。ダーウィンの進化論によるのか、創造主の神の意思なのか分からないが、体の骨や関節はそのように出来ている。日常生活ではこれは都合がいいし必要である。もし、人の手や体が蛸や烏賊の手足のように、骨や関節がなければ、重い物を持ち上げたり、直線的な素早い動き、繊細な動き等は難しい。やはり、骨や関節で力を出したり、止めたり、繊細な作業をするのがいいだろう。

しかし、武道の手は日常の手では駄目である。武道では日常生活でつかう力と量的・質的に違うからである。武道では通常よりも強い力が必要であり、そして異質の力が必要ということである。強い力は相手があるからである。力は強ければ強いほどいいし、技も掛かり易く、相手も納得してくれ易いものである。
次に質的な違いという事である。日常生活でも、力は、所謂、魄の力であるが、武道では魂の力である。武道でも初めから魂の力はつかえず魄の力でやってしまうが、魂の力を目標にしなければならないのである。

この強力な魂の力が出るようにするためには、やるべきことは多々あるわけだが、今回は“骨をつくり上げる”に特化することにする。大先生の教えに従ってやっていくことにする。
大先生は、「霊は霊、体は体でととのえていかなければならない。みな霊、体をととのえて、気、流、柔、剛とその世界に進んでゆくのである。」「魂と血流が淨まると、肉体が立派な生きたすき通った光の肉体となる。これを創りあげなければならない。次に固体であるが、つまり骨も髄まで立派な土台として創り上げてゆかねばならない。」と教えておられる。
体を気、流、柔、剛につくり上げていかなければならないということである。しかも、気、流、柔、剛の順につくり上げていかなければならないのである。気、流、柔、剛の体とは、気体、流体、柔体、固体である。気体とは、生命力の気で働く体であり、流体とは、血液や体液などの活動する体であり、柔体とは、筋肉などの活動する体であり、固体(剛体)とは、骨や関節などが働く体である。

大先生は、気体、流体、柔体、固体の最後は固体を鍛えなければならないと云われているわけだが、思うに、この固体の鍛練が最も難しいということであると共に、そのために気体、流体、柔体を鍛錬し、つくり上げておかなければならないということだと思う。

さて、固体の骨・関節をつくり上げるにはどうするかということである。
これまでは、骨や関節の箇所が折れたり曲がらないように、イクムスビの息づかいと共にしっかりした手足をつくってきた。言うなれば、筋肉に働いてもらうことによって骨や関節を折れ曲がらないようにしたわけである。骨自信を働かせたわけではないと云える。

固体である骨も髄まで立派な土台として創り上げてゆくためには、骨を腹で働かすことである。腹と当該の骨を結び、腹からの息と気により骨をつかうのである。
布斗麻邇御霊の営みでやるのである。骨は思い通りに自在に動いてくれるようだし、骨に従って肉も動いてくれる。骨主肉従である。そして、骨が肉のように活動するのである。初心者の骨っぽい動きが消え、骨が消えたようなスムーズな動きが出来るようになるようなのである。上手な人の踊りや立ち振る舞いが美しく、魅力的なのは、この骨が消えた動きにあると思う。
また、骨が消え、筋肉と一緒になると、腹からの力、天地からの力が出るようになるようである。
骨をつくり上げることが大事である。