【第781回】 あ、お、う、え、い

これまで呼吸、息づかいの研究をしてきたが、中々一筋縄ではいかない。前から言っているように、合気道では形は教えてくれるが息づかいはほとんど教えない。自分で見つけていかなければならない事になる。何事も、一生懸命にやっていけば、大体の事は達成するものだが、この息づかいは中々の曲者でその正体を現してくれない。

これまで息づかいで分かった事は、まず、イクムスビの息づかいで技と体をつかう事である。この息づかいで技と体をつかえば、体がよく働いてくれるし、力も出るし、技もそれまでになく効くようになる事は間違いない。取り敢えずは、イクムスビから始めるのがいいと思う。

次の息づかいは阿吽の呼吸である。技を阿吽で収めてしまうのである。この阿吽の呼吸でやると、早くも遅くも、激しくもやさしくも自在に出来る。
言うなれば、前出しのイクムスビの呼吸はまだ魄の息づかいであり、阿吽の呼吸で魂を表に出す息づかいになるようである。大先生は、魂を表に出すためには、阿吽の呼吸でやることであると言われているのである。つまり、阿吽の呼吸でなければ魂を表に出すことはできないという教えなのである。

三番目の息づかいは、布斗麻邇御霊の息づかいである。

○は天の呼吸で吐く息。□は地の呼吸で引く息。この○と□の中にある
ポチや━や|や十字に従って更に息を引いたり吐いたりする複雑微妙な呼吸である。合気道の技はこの布斗麻邇御霊の息づかいでやるわけだが、これが中々容易ではない。

この問題を解決してくれるのが「あ、お、う、え、い」である。これも大先生の教えなのである。例えば、「この一元より出てくる宇宙の営みのみ姿、水火のむすび、つまり天の呼吸と地の呼吸とを合し、一つの息として生み出していくの武産合気というのであります。それはどういうことかというと、「す」と「う」の働きによって、自分というものは、この与えられた魂と肉体との不離一体の交流によって、腹の底から「あ、お、う、え、い」を身体の口から鳴り出さしめるところの形式と、水と火との動き、つまりタカミムスビ、カミムスビの二神の、右にらせんして舞昇りたまい、左にらせんして舞い降りたもう御行為によって、水精火台の生じる摩擦作用の模様と全く同一形式なのであります。」(武産合気P.75)」といわれているのである。これを一言で云えば、布斗麻邇御霊の営みを「あ、お、う、え、い」の息づかいでやればいいということである。つまり、「あ、お、う、え、い」の息づかいで技をつかえば、一元の神と結び、タカミムスビ、カミムスビの摩擦作用と同じ形式になる等のように、布斗麻邇御霊の営みの形になるということなのである。

それでは、布斗麻邇御霊と「あ、お、う、え、い」の息づかいの関係を示してみると次の様になる。







また、これを実際にやると、布斗麻邇御霊の息づかいは、これまでになく上手くできるようになるのである。更に、魂が魄の上に載り、魂で己の魄や相手の魂魄を導けるようになるのである。
しかし、この「あ、お、う、え、い」も中々難しい。布斗麻邇御霊の息づかいが出来なければ出来ないのではないかと思う。先ずは、布斗麻邇御霊の息づかい、そして、その前に阿吽の呼吸、またその前にイクムスビの呼吸を身に付けなければならない。

今のところ、この「あ、お、う、え、い」が最高の息づかいではないかと思っているが、また、変わるかもしれない。