【第780回】 合気柔術→合気道→真の合気道

合気道上達の秘訣の第770回「合気道、真の合気道、武産合気」で合気道と真の合気道について書いたが、不十分であったと思うので、再度、このテーマを書くことにする。第770回では、まだ、真の合気道のための布斗麻邇御霊の営みが分かっていなかったために、不明確な文章になっていたことが分かる。今回は少しは明確になると思う。

物事には歴史がある。古いモノがあり、新しいモノが現れ、その新しいモノも古くなり、更に新しいモノが現われるということである。
これが自然であり、新しかったモノでもそのままだと古いモノになってしまう。宇宙が生成化育を繰り返し乍ら変革しているわけだから、古い衣を脱いで新しい衣に変わっていかなければならないということになろう。
合気道の素晴らしさは、この宇宙の生成化育に逆らわずに変革をしている事である。時代と共にというより、時代を先取りして変革しようとしていると思う。これは合気道創始者の植芝盛平翁の英知とご努力による。

まず、合気道は柔術が基になり、柔術から始まった。開祖は大東流柔術を武田惣角先生に教わり、その後、その柔術を教えておられ、望月稔、富木謙治、塩田剛三などの弟子を育てた。
1948年(昭和23年)「皇武会」は「財団法人合気会」となり、この時はじめて正式に「合気道」を名乗ることになった。合気道が始まったわけである。
そして開祖の晩年に、開祖は、合気道は真の合気道、武産合気に変わらなければならないと云われておられたのである。
つまり、合気道は、合気柔術→合気道→真の合気と変わって行くのである。

それでは、この合気道の変革の意味と各段階の特徴と目標の違いは何かという事になる。
先ず、合気柔術の合気道である。柔術の時代と社会に対応する武術で、敵に負けない、敵を制するための術を学ぶ事が最大の目的であり、最重要な事である。喧嘩や争いに強くなることが出来る。
私の入門した頃(1961年)の先生や先輩方は、喧嘩や争いでは負けそうにない姿形をしていたし、中には喧嘩をして勝った自慢をしていた先輩もいたものだ。このような力自慢の者が力一杯稽古をしていたので、大先生はよく、そんなに力をつかわなくてもいいと、我々稽古人達に云っておられたほどである。そして、合気道は気育徳育常識の涵養であると云われておられた。
しかし、その数年後になると、この気育徳育常識の涵養に体育が加わり、合気道は、気育徳育体育常識の涵養となったのである。それは新しく入門してくる稽古人の体力が過っての稽古人に比べるとひ弱になったことによると思う。

私は合気道を学びに入門したが、今思い返すとまだ柔術の名残が残っていたと思う。技にしても大東流の百十八カ条の形の多くが稽古の技に入っており、首を絞めたり、関節をきめたりしていた。それ故、稽古人は少なかったし、女性もほとんどいなかったように思う。
しかし、この合気道の稽古は、段々と平和的で万人に出来るような稽古に変わってくる。まず、大先生が軟らかい、水が流れるような動きで技を示してくださり、それを我々稽古人は模範として、技をつかい、受けを取るようになってきた。また、合気道とは何かを大先生はよくご説明されておられた。

さて、合気道である。柔術の要素を取り除いた他にどのような特徴があるのかということである。これは、次の‘真の合気道’との比較ということによって分かることになる。つまり、‘真の合気道’が理解できなければ‘合気道’も理解出来ないはずだからである。勿論、その根幹には大先生の教えがある。大先生の教えで解釈しなければならない。
合気道とは、宇宙の営みを取り入れて技と体をつかって精進する武道である。例えば、技も体も陰陽十字につかうのである。宇宙の法則を一つ一つ身につけていくということである。つまり、上手い下手は、この法則を如何に見つけ、身につけているかに依ると云う事になる。

最後の‘真の合気道’である。大先生は、合気道を何とか‘真の合気道’にしたいと願われておられたことが、今になるとよく分かる。そのため大先生は晩年、「フトマニ古事記によって、技を生み出していかなければなりません」と云われておられる。
さて、‘真の合気道’である。前段階の‘合気道’と比べれば分かり易い。
‘合気道’は、宇宙の営み・法則を己に取り入れて技を生み出すわけだが、これは、己自身が主で宇宙が従ということである。
‘真の合気道’は、宇宙の営み・法則の中に己を入れ込んでしまう、己従で宇宙主ということである。己に宇宙を取り入れるのは不可能であるが、宇宙に己を入れ込むことは可能で容易である。己を宇宙に入れ込むことを、宇宙と一体となり、そして己が宇宙になるということだと考える。そしてこれが大先生が教えておられる、合気道、そして真の合気道の目標であるはずである。
‘真の合気道’で合気道の目標が達成されるという事になる。

尚、この‘真の合気道’を大先生は武産合気と云われていると思うが、この‘真の合気道’の段階に入るためには、その前の‘合気道‘をしっかり身に付けなければならない。やるべき事をきっちりやらなければ先に進めないし、目標に到達できないのである。合気の修行に近道や抜け道はない。