【第779回】 肉体を大事に扱い、理合いでつくる

「武は体の変化の極まりなき栄の道」と大先生は言われている。合気道は人の体を極まりなく知り、つかう武道であるということである。合気道ほど人の体を知り、駆使しようとしているモノはないと思う。何故ならば、合気道では人の体も宇宙規模で捉えているからである。人の体は宇宙と創出も営みも同じと教えられているのである。
故に、合気道家は己の体を少しでも知るよう、つかえるように修練しなければならないことになる。つまり、己の体の事がわからなければ反省し、少しでも知るようにしなければならないことになる。己の体を知るという事は、体と仲良くすることであり、体と対話をすることにもなる。体が、ここが痛むからここが痛まないような体づかいをしてくれとか、その体づかいの方が技が上手くかかるとか教えてくれるのである。

合気道は魂の学びであり、魄(体)の上に魂(心、精神)がのり、魂で魄を導けと教えられているので、魂が魄より偉いように思ってしまうのかもしれないが、魄も大事にしなければならないと大先生は、「真の自分のものを生み出す場処である体を大事に扱い、魄を大事に扱うことを忘れてはいけません。」と教えておられるのである。更に、「肉体すなわち魄がなければ魂が座らぬし、人のつとめが出来ない。」「この肉体は黄金の釜であります。霊魂をつくり直すことができるのです。」とも肉体(魄)の大事な事を説かれておられるのである。

また、大先生は、肉体は理によってつくり上げていかなければならないと、「武魂を容れるの善美なる肉体は理によってつくりあげるものである」と云われている。体は、只、力一杯につかったり、無暗につかっても合気の体は出来ないという事である。理合いでつくっていくのである。それでは理に合う“理”等あるのか、あるとしたら、それは何かということになる。

合気道には明確な理がある。その理とは、宇宙の営み、宇宙の法則である。一霊四魂三元八力、陰陽十字、布斗麻邇御霊の営み等である。これらは宇宙の営み・法則であるから、時間や空間、時代や場所に関係なく通用する営みであり法則である。
この宇宙の営み・法則に則って、技を練り、体をつくり上げていくのである。
勿論、練っていく技も宇宙の営み・法則に合しなければならないわけだから、技と体を宇宙の営み・法則の理に合わせてつかい、つくり上げていく事になる。これが理によって体をつくり上げていき、技をつかっていく理合いの稽古ということになる。時として、日常のモノとは違ったり、相反したりするので、容易ではないが、合気道の理合いでやらなければならないし、この合気道の理合いで日常生活や他の活動もやるのがいいと思う。その典型的なモノに、例えば、息づかいがある。が、この詳細は後日とする。

この理合いで体をつかい、つくり上げていかなければ合気の体は出来ないし、気や魂も生まれない。また、体を痛めることにもなる。
理合いで体をつかい、つくり上げ、そして大事に扱う事が重要なのである。