【第778回】 時間感覚

最近、時間、月日の経つのが更にはやく感じようになってきた。これまでも時間の経つのが少しずつ早まっているようには感じていたが、これが年を取るという事だろうと余り気にしていなかった。
しかし、最近、それを特に感じるようになったことを冷静に考えてみると、これまでと今に大きな違いがあることに気がつぃた。それは新型コロナウィルスの感染による自粛である。出歩く自粛により日常生活の活動が大幅に減ったことである。
どうも時間が経つのが早く感ずるようになった理由はこれにあるように思い当たったのである。

つまり、体を動かしたり、頭を使う活動が少なくなれば、時間の経過感覚が早くなるのではないかということである。仕事や学校に行っている頃は日時の経つのが遅く、早く土曜日・日曜日が来ないかと願ったものであるが、定年になって家にいるようになると、日時も時間もあっという間に経っている。年を取っていけば活動は少なくなるし、その上、今回はコロナでの活動も少なくなったので、ダブルパンチで時間が早くなったと考える。

この時間感覚は他の事例にもある。電車に乗って通勤・通学する場合、坐っていく場合と立っていく場合の所要時間の感覚は違う。立っていく場合は、坐っていく場合より早いと感じるものである。坐っていくときと比べて、こんなに早く着くのかと思うのである。これも立った方が、坐るよりも活動が多いからであると思う。坐っている人は、立っている人に対して、こんなに長い時間立っているのは大変だろうと思うが、立っている方はそれほどでもないはずである。

合気道の道場での稽古である、ゆっくりとのんびりと稽古をしていると時間は早く進むし、激しい稽古をしていれば時間はゆっくり進むと思う。
昨今はゆっくりのんびりと稽古をしているので、稽古時間がもう終わってしまうのかと思うぐらい、時間の流れが早いが、過って若くて元気な頃は、時間が遅くなるどころではなく、その極限の時間が止まる時間感覚を経験したものだ。ほぼ同じレベルの気心の知れた相手と、お互い頑張ることなく技を掛け合い、受けを取り合って稽古を享受していた。左右表裏を四回ずつやっては交代するを何回か続けるわけだが、10,20回ぐらいでちょっと道場に懸かっている時計を見ると、針は一分も進んでいないのである。てっきりこの時計は壊れて動かないのではないかと思ったことが2,3度あった。勿論、時計は動いていた。最近の時計は一分毎に針が進むようにできているので、針は59秒間じっとしていて動かないのである。だから、59秒の間、技を掛け合い、受けを取り合っていたわけであるが、考えれば5秒間で投げて、相手が受け身し、次の投げにいったとすると、約10回投げたり、受け身を取る事になる。これは相当な活動である。このぐらいの稽古(活動)をすれば、超ゆっくりの時間感覚を体験できるわけである。
過って、有川定輝先生は、一回の稽古で3分間真剣に稽古すればいいと言われていたが、技の上達のためだけではなく、このような超ゆっくりの時間感覚を体験をしてみろよという教えでもあったのかも知れない。

年を取ってくるに従って、時間、つまり、とき(年月日時)の流れは早くなってくる。若者のその流れはもっと遅いし、子供のその流れはそれよりもっと遅い。誰でも想い返してみれば思い当たる節があるはずである。

時間の流れが早く感じられるようになったら年を取ってきたことになる。その上、コロナの感染で活動が制限されてくれば、尚更、早くなる。
年を取ることは仕方がないが、活動すること、活動を変えることは出来る。時間をゆっくり進ませる時間感覚を持ちたいものである。