【第775回】 コロナ感染惨事と合気道

新型コロナウィルスの感染で世界中が日常の生活が制限され一年となるが、感染終息がいつになるか今のところ見当もつかない状況である。
合気道の稽古はできるが、以前のような稽古はできない。世間ではコロナのために、商売が出来なくなったとか、仕事がなくなったとか、また、死んでしまったとか、入院していたり、自宅療養をされている人たちもおられるわけだから、彼らから見れば、合気道の稽古をできる事、やっている事自体が羨ましかったり、妬ましいはずである。

そこでこのような状況にありながら稽古をする意味があるのか、あるとすればどのような意味があるのかを考えてみようと思う。
また、大先生や吉祥丸先生ならこのような状況での合気道の稽古をどのように考えられ、どのようにするかを推測してみた。

大先生なら、恐らく「このような状況だからこそ、合気道をしっかり稽古しなさい」と云われると思う。何故ならば、合気道の教えにそれがあるからである。
合気道の教えは、時空、空間、次元を超越したものである。ある人や、或る場所や時代、更に見える世界だけでなく目に見えない世界にも通ずる、所謂、宇宙の教えだからである。そして合気道家はこの教えを学び、それを世間に伝搬する役割(使命)がある。だから、コロナなどでその使命を中断させてはいけないのである。

人に伝えるためには、先ず、自分自身がその教えを理解し、身に付けなければならない。その教えにはいろいろあるが、コロナとの関係で挙げると、まず、人も万有万物も、地上天国建設のために生きているという事である。これは合気道の最高の教えであると思うが、これを実感するのは難しい。しかし実は、誰もが意識しなくとも、無意識の内に地上に天国を建設すべく生きているのである。人が真に満足するとか、喜ぶのはこの地上天国建設のプロジェクトに参画できたということである。
新型コロナウィルスの感染の惨事はそのプロセスの一部である。このコロナ惨事から学ぶべき事を学べば、地上天国建設に役立つはずである。もしかすると、これが新型コロナの使命なのかもしれない。
これも合気道の教えであるが、万有万物は両面を持っている。表と裏、善と悪、益と害、建設と破壊等々である。害や破壊などの面があれば、そこには益があり建設もあるのである。

しかし、何故、新型コロナウィルスの感染の惨事が世界中に起こったのかを考えなければならないだろう。勿論、この分野の専門家ではないので医学的、学術的ではない。合気道の教えに沿っての考えである。
それは、人が傲慢になっている事にあるように思う。今や人は、人間万能で、自然を破壊し、また、力がある者が力の無い者や弱い者を牛耳る世界になってしまった。合気道で云う“魄の世界”であり、物・力の世界である。モノや金を所有すればするほど大きな力を持つ世界である。
合気道の技の稽古で力(腕力・体力)でやれば、初めは上手くいっても徐々に行きづまってくるし、その内に体を壊すことになる事は自明である。魄に頼って生きる人、魄の世界も上手くいかないようになるはずなのだ。

傲慢になってはならないと合気道でも教えている。自分が出来る、上手い等と思った途端に進歩・上達はなくなるということである。
傲慢になる理由の一つは、自分を知らないことにあると思う。人は自分を知っているつもりでいるようだが、実際はほとんど知らないと云っていいだろう。合気道で技?稽古を真剣にするとそれがよくわかる。体も各関節も縦横十字に構成され、それが息によって十字に機能するように出来ていること等意識していないだろう。
自分を知れば宇宙が分かってくる。自分が分かる程度に宇宙も分かってくるし、宇宙が分かる程度に自分がわかるのである。自分が宇宙の営みと共に生きていることもわかってくるので、傲慢になってなどいられないわけである。
この宇宙の営みと共に生きることを、合気道では宇宙との一体化と云い、これが合気道の修業の目標である。と同時に、それを世間に伝搬する使命を負っているのである。
この新型コロナウィルスが一日も早く消滅するため、そしてこれから先も発生するだろうウィルスのためにも、合気道を更に修業し、世間の人たちのための羅針盤になりたいものである。