【第773回】 フトマニ古事記で体をつくる

これまで合気の体のつくり方をいろいろ書いてきた。技を上手くつかうためには体をどのようにつかえばいいのか、また、技をつかって、体はこのようにつかった方がいい等ということを書いてきた。しかし、これまでの体のつくり方には一貫性がないように思われる。勿論、体のつくり方には、多くの場合、前後のつながりはあった。つまり、前のつかい方ができなければ次に進めないし出来ないということである。

合気の体のつくり方には、一貫性がなければならないと思うようになった。初めから、やるべき事をやって、最終的な段階に辿り着くという一貫性である。
そう思うようになったきっかけは「布斗麻邇(ふとまに)の御霊」である。この布斗麻邇の御霊は、何もない宇宙から宇宙天地が出来ていき、固まるまでを現わした下記の図像である。
       

布斗麻邇の御霊の教えは非常に奥深いようなので、一度に体のつくり方の教えを学ぶ事は難しいと思うので、分かり易い浅い部分からやっていくつもりである。そうすればいずれ深い教えの部分に到達すると思う。
今回はそれ故、基本的なことになる。

は天の御中主神の御霊である。大先生が技をつかう際は、天の御中主神にならなければならないと言われている。しっかりした中心(腹)と天地を貫く中心線を有する、芯のある体をつくることである。
また、この天の御中主神の姿かたちがしっかりしていないと、次のに上手く移れない。例えば、腰が十字にスムースに返せない。正面打ち一教などでそれがよくわかる。

は高皇産霊神と神皇産霊神両神の合体の御霊である。両神()絡み合って結ぶ。 そして鶏卵のごとく凝りかたまりて五体の基をつくるという。これを「火水動き回り動き回り水火興開きて絡み絡みてついに鶏卵のごとく凝りかたまりて五体の基をなす」と『大本言霊学』は記している。
これが、天の御中主神とで△体をつくるということになるのだろう。
いずれにしても、で五体の基がつくられるわけである。

は伊邪那岐神の御霊である。
は伊邪那美神の御霊である。
まるは水の形をなし、━の火は伊邪那岐神、|の水は伊邪那美神である。この二神は陰陽一対で働く神なので一緒に扱うことにする。
この両神は、気誘双神きいざないならぶかみといい天地の陰陽双びてめぐり、人の息双びて呼吸をなすの伝という。故に、呼吸は両神在ふたはしらいますの宮という。息胞衣えなの内に初めて吹くをなずけて天の浮橋という。水火自ずからに回り浮発て竪横をなすを天の浮橋というなり、胎内に初めて動くは天の浮橋なり、とある。

ここからは、息を○く吐きながら、更に━(横、火)に息を引き、|(縦、水)に息を吐いて気を誘い、天の浮橋を腹(胞衣)につくることになろう。腹を鍛えることにもなるだろう。ここで大事なのはまず━、その後|で体と息をつかわなければならない事である。技だけでなく、柔軟体操もこれでやらないと上手くいかないし、体を壊すことになる。

は伊豫の二名島の御霊である。
この御霊は、伊邪那岐神と伊邪那美神とくみ合う御形である。胞衣の破るるを淡道穂狭別島を生という。その胞衣を出て息を吹き出すを伊豫の二名島を生と云う。この島身一つに面四有り、面毎に名有り。息出る時は四つの形をなすと云う傳なり、とある。

まるに十字での玉をつくり、玉で技と体をつかって体を鍛えるのである。
また、四面、四つの形とは合気道で云う、一霊四魂三元八力の四魂と考える。そこで、四魂の幸魂、和魂、荒魂、奇魂で体をつくっていくということになろう。

は筑紫島である。
「入る息の外を搦みて降る御霊」である。の伊豫の二名島と同様、この島身一つに面四有り、面毎に名有る。但し、は出る息であり、は引く息となる。四面とはと同じく四魂の幸魂、和魂、荒魂、奇魂であると考える。
で息を引き、四魂と三元で腹を鍛え、体を鍛えるわけである。

は大八島國である。
「天地人かたち成て水火を為す御霊」である。に収めるのである。技の最後の収めであり、天と地と己が一体化するということだと考える。の十字から気が生まれるから、気で収めることになる。これによって、技は最後の収めまでしっかりやらなければならないことが分かる。
八島とは八力(動、静、解、疑、強、弱、合、分)であると思う。対照力、動と静、解と疑、強と弱、合と分で引力を養成するのである。合気道は引力の養成であると云われるのがこれである。引力のある体をつくるのである。

参考資料  『大本言霊学』出口王仁三郎