【第771回】 衰えるのは仕方がない

傘寿に近づくに従い、年々というより日々身心の衰えを感じるようになると言っても過言ではないだろう。この衰えの速度と量を少しでも低減するためにも、毎日、禊ぎや稽古をしているが、この衰えには勝てない事は確信済である。そして年を取る事、年を取ることによって身心が衰える事は仕方がないと確信するようになる。これまでも、人が年を取っていく事は分かっていた。これは自然の理、宇宙の法則だからである。だが、年を取って身心が衰える事がよく理解出来なかったし、実感がなかった。

年を取って身心が衰えるのは仕方がないと素直に認めると、その衰えがそれほど気にならなくなる。自然に逆らはなければいいと思うからだろう。するとこの身心の衰えで起こる問題に対する対策を打っていけばいいという発想が生まれてくる。これはただ対策ということだけでなく、その対策を楽しむことになるし、ひいては老いを楽しむことになるようだ。

年を取って身心が衰えることから起こる問題にどのようなものがあるかというと、その典型的なものが「物忘れ」である。スーパーで買う物、約束の日・時間・場所、書こうとしている論文の題・概要・要点。また、最近ではマスクを忘れて買い物・外出したり、稽古にいったりする事もある。
この対策である。忘れる自信のあるモノはすべてメモをとっておけばいい。そしてそのメモは常に定位置に於くのである。メモは走り書きで、すぐ捨ててしまうわけだから、広告やコピーの裏紙を使う。A4を四つ切にして溜めて置き、どんどんメモして置くのである。済んだら捨ててしまう。
また、マスクをするのを忘れて外に出る事がちょいちょいあるようになったので、外出する時に着そうな上着やコートのポケットにマスクを一つ入れてある。道場へ行く時に忘れてもいいように、道着入れにもマスクを一ついれてある。この対策で、逆にマスクのし忘れが激減したようである。

年を取ってくると寒さが応えてくる。若い頃は寒さを修業と思ったり、また、痩せ我慢や意地を張って我慢していたが、年とともに身心が喜ばないようになってきた。これまで十分に身心に我慢してもらったので、そろそろ楽させてやろうと思うようになったのである。
これまでは禊をするにも、フローリングの冷たい床に、素足、身に付けるモノもズボンとシャツと軽装であったが、今の冬場は靴下や足袋を履き、下着を上と下に着てやることにした。お陰でこれまでは、冬の禊ぎは厳しく緊張するものであったが、足下と体を暖かくすることによって、快適になったし、また、それまでの緊張のエネルギーが技づかいなどに使われるようになり、これまでにないような教えを得られるようになったようだ。
ただ、あまり身心を甘やかせるのは良くないので、禊ぎの締めには、年中水をかぶることは続けている。

体の衰えも顕著である。特に足が衰える。足が衰えると他の部位や器官も衰えてくるから、足が衰えない対策をしなければならない。
この最良の対策は歩くことであると思う。出来れば一日一刻(2時間)歩くといいが、この忙しい世の中で2時間は難しいこともあるので、最低、一日30分歩くことにしている。普段はこの時間以上に歩いているだろうが、雨や風などで天気が悪い日や、体調がすぐれない日など歩きたくないこともあるが、それでも毎日歩くことにしている。特に、年を取ると大事なようだ。また、道場で稽古をしているからと歩くのが不十分だと、足が衰え、体調を崩すことになる。体験済みである。

胃腸の衰えで食欲がなくなるのも問題になる。
この対策は、多少無理しても自分が一番食べたい物を食べる事である。例えば、それをレストランで食べるのである。料理は食欲が出るように盛り付けてあるし、量も通常の大人が食べて満足できるものだから、それを食べきれば通常の大人の胃腸になったことになり、胃腸は正常になり、そして食欲が出るようになるはずである。一人で食べるのもいいが、何人かで食べれば食欲は湧くし、食べ残しもしづらくなるものだ。

等々年を取ると問題が、まだまだ次々と出てくるはずだが、それを楽しみ、そしてその対策も楽しめばいいと思っている。