【第770回】 △○□

合気道は目に見えるものだけを追っていてもいずれ行きづまってしまう。目に見える稽古をある程度積んだら、今度は目に見えない次元での稽古に入らなければならない。しかし、これはよほどの指導者につくか、または自己努力をしないと難しいものである。今度は己の心と体の心の声を聞き、従うことになるからである。つまり、技や体づかいの良し悪しは、形(かたち)ではなく、心の心や体の心が判断し、こうやれ、ああやれと助言し、改善してくれるのである。この心の心や体の心の判断や助言や改善は何に基づくかというと“宇宙の営み”“宇宙の法則”である。これは言うなれば、絶対的な基準である。

合気道をつくられた植芝盛平開祖は、この見えない“宇宙の営み”“宇宙の法則”を我々稽古人に教えるために、どれだけご苦心されたのか、今になってようやくわかってきた。我々凡人にはとても出来そうにない事である。しかしながら、大先生の教えを理解し、身につけ、それを後進達に引き継ぐようにしなければならないと考えている。

さて、本題に戻る。
「合気道の極意は、己れの邪気をはらい、己れを宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させることにある。」また、「合気道は、大自然の絶対愛を基として、体を△に象り(かたどり)、○を中心に、気により△□の変化と気結び、生産びを身体に現わし、生み出しつつ気魂力を養成し、皆空の心と体を造り出す精妙なる道である」と教えておられる。
これは宇宙の営みは△○□であり、この営みに調和させて己の動き、つまり、技も体もつかわなければならないということである。

これまでも△○□で技と体をつかってきた。△で入身して、手は腰腹で円を描くように○くつかい、息を吐いて四角く収めるである。
しかし、これは△○□の導入部であり、次の△○□があることが判明した。
まず、△○□の順序である。大先生は常に△○□の順序を△、○、□とされていることである。□、△、○などはないということである。△○□の順序がこうでなければならない事は、これで技をつかう事が出来るようになるのだと納得できる。

△からはじまるが、△とは上記の説明にあるよう、体三面に開く半身の三角体であり、△で相手に切り込むことである。△は霊的には“奇霊、荒霊”であり、物質的には“天・火”である。強力なエネルギーで入身できるのである。

○はこれまでの○とは違う。以前の平面の円ではなく、立体的な丸の○である。合気道の技はこの丸の円、十字からなるをつくことになる。例えば、腕を横や上に上げたら、指先方向の縦に気と力を出し、引き続き息を出しながら手先を横に拡げ、更に手先を縦の上下に拡げると手が十字に働きとなる。この後引き続き息を引けば□、となる。
因みに、○は、霊的には“和霊”、物質的には“水”である。△○□で技と体と息をつかっているとそれを感じる。
これが△○□の○である。

□は、○では息を吐いているが、息を吐き切ると自然と息が入ってくる。返ったところから□になり、これで技を収める。因みに、□は、霊的には“幸霊”、物質的には“地”である。

△○□で技がつかえるようになると、宇宙の営みも△○□であることが感得できるようになるようだ。