【第768回】 古事記の営みの実行で体をつかい・つくる

大先生は、合気(武産合気)は「古事記の宇宙の経綸の御教えに、神習いまして日々、練磨していくことです。」「古事記の営みの実行で神習っていかなければなりません。」と言われているし、合気は古典の古事記の実行であると教えておられる。大先生は、古事記は法典であるといわれておられ、古事記は合気にとって非常に重要であると言われているのである。
要は、古事記の教えに則って、古事記の実行をしていくのが合気道であるという事である。これまでは、合気道は宇宙の法則に則って技と体をつかい精進し、宇宙との一体化を目指さなければならないとしてきたが、今度は古事記に則ることになる。

しかし、宇宙の法則も古事記も実は同じである。何故ならば、前出しの文の中に、「古事記の宇宙の経綸の御教え・・」とあるように、宇宙の経綸の御教えが古事記になるわけだし、「古事記の営みの実行で神習って」にあるように、古事記の営みの実行は神に習う事、つまり、宇宙の法則という真理の“神“(注 有川定輝先生は真理を神と言ってもいいだろう謂われている)の営みになるからである。

これまで宇宙の営みの法則で技と体をつかって稽古をしてきた。例えば、技と体を陰陽につかい、また、十字につかうよう、つまり、陰陽十字に技と体をはめ込んでいくようにしてきたわけである。
確かに陰陽十字に技と体をはめ込んでいくと上手く働いてくれるので、そうしなければならない事は分かるが、この陰陽十字がどのように生まれ、どのような意味があるのか等が不明であった。
そして古事記の営みの実行によって、それらの霧が消え去り、更に新たなモノが見えてきたり、これまでの間違いを修正する事が出来るようになったのである。

今回は、これまでやってきた開脚で股関節や裏筋を柔軟にする柔軟体操を例として、古事記とどう違うのかを研究してみたいと思う。

この柔軟体操でもやり方は変わってきた。
イクムスビのイーで息を吐いて上体を軽く倒し、クーで息を吸って上体を倒せるところまで倒し、ムーで息を吐きながら上体を極限まで倒す。
これがこれまでの稽古法・鍛錬法である。

さて、古事記の営みの実行である。それは布斗麻邇の古事記をもって一緒にやることということである。

合気道の技はこの布斗麻邇の古事記によって技を生み出し、息と体をつかっていかなければならないのである。一教でも、呼吸法でもこの教えでやれば上手くいくようであるが、それでなければ上手くいかないようである。
さて、柔軟体操に戻る。これで次のやり方にかわるわけである。

布斗麻邇古事記の実行である。
①-1 で天と地を結んだら、息を吸いながら、先ずは横に体(腰腹、胸)を拡げる。これがである。
①-2 そして今度は体を縦に落し、気を縦に流すのである。これがである。
つまり、初めに横、そして縦の体をつかい、気を流さなければならないのである。初心者はこれを逆にしている。初めにをやれば、体はこわばってしまい、中々下に下りないものである。しかし、若者などはそれを力ずくでやっているのが多いが、それを続けていれば体を壊すことになるはずだ。何故なら、宇宙の法則、布斗麻邇古事記の教えに反しているからである。

勿論、柔軟体操だけではなく、相対稽古で技と体をつかう際もこの布斗麻邇古事記の教えに従わなければならない。そうでなければ真の体づかいが出来ないし、真の合気の体が出来ない。