【第766回】 布斗麻邇(ふとまに)の御霊

これまで合気道を技と体を練って精進してきた。宇宙の営みを形にした法則に合し○△□で、また、天地の呼吸イクムスビや阿吽の呼吸に合わせ、技と体をつかってきたわけである。
お陰で大分魄の力に頼らずに、気をつかって技をつかえるようになってきたところである。
しかし、まだまだ魂の次元の入り口の前に来たところで、魂の次元に入るにはどうすればいいのかを迷っている状況にあるところである。

有難いことに、そのためになるであろう新たな教えに巡り合った。それは新聞広告で紹介されていた本である。それは偶然に目にとまり、即購入したものである。タイトルだけで欲しいと思っただけで、内容など分かっていなかったが、むしょうに欲しかったのである。そして、読んでいる内に、合気道のこれからの精進に必要不可欠な教えが書いてあるので大いに喜び驚いた次第である。

その本は「言霊と日本語」(今野真二著、ちくま新書)である。
この中で江戸時代中期以降において多くの国学者たちがコトダマの思索をしたきたわけだが、その中の一人である山口志道(1765−1843)のコトダマ観を紹介している。彼は、日本には、無文字時代があったわけだが、無文字時代にも日本語はあったのだから、その時の日本語は音声がすべてであったとある。更に山口志道の家に「布斗麻邇の御霊」(図)と呼ばれる文章があったという。そして「古今のことば」を集め、『古事記』神代巻に照らして30年余りの研究結果、「布斗麻邇の御霊」は、「水火の御伝」で、「形仮名は神の御名こと」が現われたものであることを悟ったという。

上図の左枠内「布斗麻邇の御霊」の縦に並んだ7つの図像の意味は次の通りであるという。上から順に、
①「天之御中主神御霊」 ②「高御産巣日神」と「神産巣日神」との両神合体の御霊 ③「伊邪那岐神の御霊」 ④「伊邪那美神の御霊」 ⑤「伊予の二名の島」 ⑥「筑紫島」 ⑦「大八島国」

そして更に、この「布斗麻邇の御霊」の一番上に描かれている「天之御中主神御霊」の図像は、後に、出口王仁三郎によって、宇宙の真神「主(ス)神」の象徴図形とされ、大本教の重要なシンボルになっていくという。
合気道の開祖植芝盛平先生は、一時期、大本教の出口王仁三郎に師事していたので、この山口志道のコトダマ観や宇宙観の影響を大いに受けたということになるだろう。そして合気道での宇宙観、○□や言霊、「天之御中主神御霊」「高御産巣日神」「神産巣日神」「伊邪那岐神の御霊」「伊邪那美神の御霊」などの神様が出てくるのかが分かったわけである。

最後に、前述の次の次元に入る道がこれで示されるわけであるが、この『言霊と日本語』と山口志道の「布斗麻邇の御霊」との偶然の出会いと、実はもう一つの出会いが加わったのである。
それは『合気神髄』の次の文章との出会いである。
「合気は天の浮橋に立たされて、布斗麻邇(ふとまに)の御霊、この姿を現すのであります。これをことごとく技にあらわさなければならないのであります。これはイザナギ、イザナミの大神、成りあわざるものと成りあまれるものと・・・。 自分の中心を知らなければなりません。自分の中心、大虚空の中心、中心は虚空にあるのであり、自分で書いていき、丸を描く。丸はすべてのものを生み出す力をもっています。全部は丸によって生み出てくるのであります。きりっと回るからできるのです。武術は魂さえ、しっかりしていればいくらでもでき、相手をみるのではない。みるから負けるのであります。何時でも円を描きだし、ものを生みだしていかなえればならないのです。(「合気神髄 P153,154」)

これで現わした技こそ、魄の次元から脱する事が出来ると思うが、文章量が多くなりすぎるので次回にする。


参考文献  「言霊と日本語」今野真二著 ちくま新書