【第763回】 体と心の鍛練

合気道の精進の主なモノは技の錬磨である。技を錬磨して精進するためには体を錬磨しなければならない。体を錬磨するとは、体を合気道の形(一教、四方投げなど)において理合いでつかう事である。体を形の最初から最後まで理合いでつかうということである。連続しての動く軌跡だけでなく、その中の一コマを取っても理に合っていなければならないということである。これまではそれを個別に説明してきたが、今回はそれらをまとめてみたいと思う。紙面の関係でそれらのすべては書けないが、その主なモノを書くことにする。

まず、稽古の相手と対峙するわけだが、初心者はこれを疎かにする傾向があるから注意しなければならない。何事も最初が肝心であり、最初が失敗すればいい結果は出ないはずである。
対峙する態勢は“半身”である。前足は北、前肩は東北、後ろ足は西、そしてお腹は西北(乾)を向く。この態勢がきっちり取れないと、技が生まれないことになる。特にお腹の向きは大事である。何故ならば、「乾(いぬい)西北は物と心のはじまり」であるからである。この「物と心のはじまり」とは技のはじまりということであり、体の動きのはじまりはお腹である。体はお腹、足、そして手の順につかわれなければならないからである。
従って、お腹が西北(乾)を向いた所から技の開始になるのである。

次の体をつかう理、つまり法則は陰陽である。足を右左右左に規則正しくつかうことである。また、手も右左右左に規則正しくつかわなければならない。そして更に、同じ側の手と足を右左右左に規則正しくつかうのである。この最適な稽古の形は両手取である。この陰陽の法則に則った体と技づかいをしなければ、技は上手く掛からないし、体を壊すから十分注意しなければならないと思う。この法則は基本中の基本であるから、この法則・理合いを身につけて次の法則を身に付ける踏み台にすればいいと考える。

その次は、十字の法則である。足の十字、手の十字、また腰腹の十字である。特に腰腹の十字は、腰腹が硬いと十分に返らない。半身で乾を向いているお腹を正面に向けるのはこの腰腹が柔軟でなければできない。
更に、次に来る息づかいのイクムスビや阿吽の呼吸でも息を十字つかわなければならないことになる。この息づかいも日常のものとは異なるから、よほど意識して鍛錬しなければならないだろう。

今度は技を息で掛ける。これまでは体で技を掛けてきたわけだが、相手が力をいれてきたり、頑張ったりすると、体の動きが思うようにスムーズにいかなくなるはずである。そこで息を主体とし、息を先行して技をつかうのである。息づかいはイクムスビと阿吽の呼吸である。イーと息を吐き、クーと息を引き、そしてムーで息を吐いて技を収めるのである。合気道の技はすべてこの息づかいでやるはずである。これでやらないと息と動きが相手とぶつかってしまい争いになるはずである。二教裏などはその好例である。

次に、「剣をつかうように体をつかう」をあげて置く。合気道は剣の動きから来ているといわれるから、剣に対し、そして剣によって技をつかうように体をつかうべきだと考える。手が剣となり手の尺骨が刃となり、出来るだけこの刃で相手を切り制するように体をつかうようにするのである。
山口清吾先生
この剣をつかうように体をつかい、技をつかっておられ、それを教えておられたのが本部道場で教えておられた故山口清吾先生である。一教や二教、四方投げを剣の捌きでやられていたのである。当時、先生の動きが滞らず美しい動きで見惚れ、真似しようとしていたものである。当時は分からなかったが、今、それが剣の動きであったのだということと剣の動きやればいいということが分かった次第である。

まだいろいろあるがこの最後として、心で体をつかい技を掛けるの鍛錬を上げることにする。
心で己の体をつかうとは、技をつかいながら己の体と対峙し、対話していくことである。相手をどうのこうのしようなどの余裕はなくなり、相手ではなく己との戦いになる。相手がいて相手がいない稽古である。心と体がいろいろと教えてくれるはずである。
そして、ここから魂の学びに入って行けるような気がしている。