合気道は魂の学びであるが、まだ魂の次元までいっていないので、先ずは気の次元に入りたいと思って技と体の鍛練をしている。
気はこれまで研究してきたように、見えないモノであるから、これが気であると示すのは難しいが、少なくとも己で実感することが出来ると思っている。何故ならば、気は幽の体であり、見えない神様のような幽の幽ではないからである。
お蔭様で少しずつ気を感じることができるようになってきたようだ。まず、こちらで気を意識して出したり、無意識で出していると相手や周りの人がそれを感じるということである。気が出ている時は、道場でいても他人はそれを感じるようで、こちらを意識しているようであり、チラチラ見る視線を感じたり、あまり近づいてこない。また、稽古の後に電車に乗っても、他の乗客が隣に座るのを躊躇するようである。
次に、気を感ずるのは、技を掛けると相手をくっつけてしまい、こちらの思うように導くことが出来るようになる事から、この粘す働きをするのが気であると感じるのである。合気道は引力の養成であり、引力がつくことは気そして魂が出、気が働くことだと考えるのである。特に、後ろ両手取りでそれを感じる。
三つ目は、天地の息で体をつかうと体に気が流れ、体が気で満ち、そして力が出る、を感じることである。この力は気の力の気力と体の力の体力である。
しかし、この三番目の気が出て働いてくれるためには、息と体を上手くつかわなければならない。合気道で上手くというのは法則に則り、天地の息と一体化することである。
それでは具体的にどうするかということになる。実際にはこんな流ちょうにやるわけではないが、説明上はそうなる。