【第759回】 イクムスビ、タルムスビ、タマツメムスビで技を

大先生は、「合気道は松、竹、梅の三つの気によって、すべてができています。これは一口にいって生産霊、足産霊、玉留産霊と申し上げます。」と言われているから、合気道の技も生産霊(松)、足産霊(竹)、玉留産霊(梅)の気で出来ており、この三つの生産霊、足産霊、玉留産霊を技でつかえるようにしなければならないということだと思う。
また、生産霊(イクムスビ)、足産霊(タルムスビ)、玉留産霊(タマツメムスビ)は、流、柔、剛であり、そして△、○、□であると言われている。つまり、イクムスビは流、タルムスビは柔、タルムスビは剛ということになる。

合気道は技を練って精進していくが、只、むやみに繰り返して稽古すれば上達するものではないと考える。目標を持ち、そのためにやるべき事を一つずつやって積み重ねていかなければならないと考えている。
技は、合気道の形を繰り返しながら精錬していくが、よほど注意しないと、自分のやり易いようにやりがちであり、そして固まってしまい、先に進むことができなくなってしまうのである。

やらなければならない稽古に、このイクムスビ、タルムスビ、タマツメムスビがあるだろう。すべての形(四方投げや呼吸法等)でできなければならないが、形によってやり難いモノ、やり易いモノがある。イクムスビ、タルムスビ、タマツメムスビの稽古とは、イクムスビ、タルムスビ、タマツメムスビでの気のつかい方、体のつかい方であるだろう。

タマツメムスビの稽古とは、剛の稽古である。諸手取呼吸法がその最適な稽古法である。相手にしっかり掴ませて、それを巌の体と気持ちで制するのである。相手の力に押しつぶされないよう、また、相手に待たせた手や打ってきた手から己の手が離れないようにするのである。魄の力と心の全身全霊でやらなければならない。このタマツメムスビの稽古は武道の基本であり、かっての武道家が重視していた稽古法であったはずである。

これと対照的なイクムスビの稽古は、柔の稽古である。相手が力を加えずにふわっと掴んだり、触れた手を、こちらの手で弾いたり離すことなく、引っ付けて相手を制し、導くのである。これはよほどの引力が出て来ないと難しい。合気道は引力の養成でもあると言われるように、これで引力の重要性がわかるものである。
イクムスビで技がつかえるようになると、相手も柔となり、剛の体と心がほぐれ、相手を息、そして気で導いていることを実感できる。従って、気や魂を身に付ける意味でも、このイクムスビの技づかいは重要だと思う。

このイクムスビとタマツメムスの間にあるのが、タルムスビである。通常の相手の掴みや打ちに対する技づかい、体づかいである。最もやり易いが、これだけに留まっていないで、タマツメムスとイクムスビに挑戦しなければならない。

尚、イクムスビ、タルムスビ、タマツメムスビで技をつかう際に、具体的にどのようなイメージになるのかが分かりづらいだろう。しかし、それも大先生は、次の様に具体的に教えておられる。
イクムスビ、タルムスビ、タマツメムスビの働きは、流、柔、剛であるが、
「気を起して流体素、あらゆる動物の本性である。柔とは、柔体素で、植物の本性又肉体のように柔らかいものである。剛とは、剛体素。大地や岩石のような固いもの、鉱物の本性である。」
つまり、イクムスビは流で、血液のように流れ、気を起こし、物を動かす働きをする。タルムスビは柔で、植物や肉体のように柔らかいものの働きをする。タマツメムスビは剛で、大地や岩石のような固いものの働きをする。という事になると思う。

イクムスビ、タルムスビ、タマツメムスビで流、柔、剛となって技をつかっていかなければならないということである。