【第757回】 自由

年を取ってきても悪いことだけではない。いい事だってある。例えば自由である。年を取ってくると自由になる。会社に行って仕事をしなくてもよくなる自由だけではない。いろいろな自由が楽しめる。
傘寿に近づくとますます自由になっている。自由とは、他からの強制・拘束・ 支配などを受けないで、自らの意思や本性に従っていることをいうと定義されているが、要は、他に囚われず、しがらみもなく、自分の思うままに生きることだろう。勿論、自分の思うままにできないことはある。時間や寿命などには限界がある。だが、これを認めて、仲良くやれば自由になる。
自由の無い不自由な人間は、思うようにならない事に不満を持っている。やれ時間が欲しいの、寿命を延ばしたいの、夏は暑いの、冬は寒いのと仕方がないことに不満をいう。

若い頃から自由な自由人には尊敬の念を抱いていた。己が年を取ってくると自由の意味と重要性が分かってきて、少し自由になってきたと思う。これまでで最高に自由だと思う。
そこで己の経験を踏まえ、自由になるためにはどうすればいいのかを考えてみたいと思う。
私が一番に挙げたいのは、自分の本当にやりたいことを見つけて、それをやり進めることだと考える。これを合気道では、“使命”という。使命がオーバーなら、仕事、役割といってもいいだろう。
使命は人によって異なる。合気道家は合気道を修業することである。画家は絵を描くこと、音楽家は美しい音楽をつくったり演奏する事等々である。また、一般的には子供を育てる事、つまり子孫を繁栄する事が人だけではなく、動物、植物の使命である。人類だけでなく、姿形がある万有万物は使命を持っている。地上楽園建設の生成化育のためである。

己の使命を見つけ、それの使命を果たしていけば何故自由になるかというと、それ以外の事はどうでもよくなり、その事とのしがらみや関係が無くなり自由になるからである。お金を儲けようとか、家や車がどうのこうとか、他人がどうだとか等興味が無くはずである。
しかし、その使命とそれと関係のある事は、多少の邪魔が入っても真剣にやらなければならないし、やるようになってくる。例えば、毎朝の禊ぎ、食べること、寝る事、読書等は使命を果たしていくために必要不可欠であるから、使命のための仕事として一生懸命にやる。
大先生は、毎朝の禊を出来なかったときは気持ちが悪いと言われておられたが、毎朝、禊を真剣にやられていたことが分かる。
使命やそれに関係する事は、別に会社の仕事のような仕事ではないから、やらなくともいいし一生懸命でなくとも誰も文句を言わない。やるかやらないか、どのようにやるは自分で自由に決められる。だから、これは自由なのである。自由であるから最高の成果が上がることにもなるはずである。

自由になるためにはどうすればいいのかの二番目は、死からの自由であると思う。いずれ近い内にお迎えが必ずくるわけだが、それを受け入れることである。お迎えが来た時の最小の準備は必要であるが、お迎えが来る事を自覚していれば、死に囚われることもなくなり、死からの自由になれる。そしてまた、使命をよりよく果たすことができるようになると思う。昔から、死を意識してはじめていい仕事が出来るともいわれているからである。

自由こそ、高齢者の特権であるようだ。