【第756回】 物忘れ

合気道は技を錬磨して精進していく。鍛錬していく技は宇宙の営みを形にしたもので、宇宙の条理・法則で出来ている。従って、技を鍛錬するとは、技を練りながら、宇宙の法則を見つけ、身に付けていくという事になる。
若い内はこのような事をあまり気にしないで、相対稽古での相手を如何に投げたり抑えるかに一生懸命になり、そしてそれが稽古のやり甲斐になっていた。しかし、これで合気道の体力と気力・魄力ができるから、これも必要な事である。

年を取って来て60,70才の高齢者になると、若い頃のような稽古は出来なくなってくる。まず、体力が無くなってくること、そして若い頃のように相手を投げよう・決めようなどと思わなくなるし、相手をどうこうしようということに興味が無くなってくるのである。
興味があり、稽古で大事になるのは、技に潜んでいるはずの宇宙の法則を見つけ、会得し、技で表すことである。法則とは技を構成する要素・要因・元素などと云ってもいいだろう。新しい法則を見つけた事、そしてそれを身につけ技で表すことが出来た時が最高の喜びである。

技は法則の塊で、恐らく人間の感覚では無限に存在するはずだ。大先生が最晩年になっても「まだまだ修行じゃ」と云われておられたのは、この理由によるのではないかと思っている。
技の法則の塊を一つづつ見つけて身に付けていくわけだが、年を取ってくると、若い頃に比べて、新しい法則を見つけるのは意外と容易にできるようになるのだが、前に身につけた法則を忘れてしまったり、出来ていた事が出来なくなってしまうことが増えてくるのである。
技は法則でできているわけだが、その技を上手くつかうためには、身に付けるべく法則の順序があるようで、大土台になる基本の法則(例えば、陰陽十字)から段々と高尚なものへと繋がっているように思える。従って、少し前の下流の法則を忘れたり、出来なくなると、折角見つけた新しい法則は身に着かない事になる。
故に、この高齢者の物忘れは重大な問題という事になるわけである。

新しい法則を見つけていかなければならないが、前に見つけた法則も忘れないようにしなければならない。
それではどうすれば法則を身に付けていく事が出来るかということになる。
私が思うに次の四つがあるだろう。