【第756回】 手を合気道の手としてつかう

日常生活に於いて、手は意識無意識にかかわらず自由に動いてくれる。合気道の稽古に於いても、はじめの内は日常生活と同じように手をつかってしまっている。相対で相手を投げたり極めたりするのもそれでいいと思ってやっており、技が効かない場合は力を籠めればいいと、力の稽古をする。
しかし、長年稽古を続けていると合気道の手のつかい方は日常のつかい方とは違うことが分かってくる。本来は、日常と稽古でのつかい方は同じでなければならないだろうが、それは合気道での稽古での手のつかい方が日常でつかわれなければならないということであり、今の日常のつかい方を稽古でつかうという事ではない。大先生のような手のつかい方、体のつかい方を日常で万人がつかうとしたら、素晴らしい世の中になるだろうと思う。

合気道の手のつかい方など体のつかい方には二つの原則があると考える。
一つは宇宙の営みに合したつかい方。二つ目は、科学的につかう事、科学に則ってつかうことである。
一つ目の原則である宇宙の営みに合した手のつかい方とは、これまで何度も書いてきたように、例えば、陰陽十字につかう事であり、天地の呼吸に合わせてつかう事である。
今回は、この一つ目の原則を省略し、二つ目の原則を研究してみたいと思う。

二つ目の手を科学的につかうということは、手を目的を果たすためにどのように働いてもらえば最大の効果が上げられるかということである。
これまで手は手刀でつかうようにする等と書いた。手刀で相手の打ってくる手を押さえたり、掴ませた手をくっつけたり、導いたり、捌いたりする等である。今回はこの手刀を含めた手を科学してみたいと思う。

手に力が集まり、手から力が出るためには、

これはこれまでも書いてきたことで、これが出来るように稽古を積んでいる。
さて、この上記の三点が出来るようにということは、これは稽古の目的になるということになる。そうすると次にこの目的を達成するための方法、やり方を見つけなければならない事になる。科学的方法、やり方を見つけ、身に付けるということである。

最初に「手の形をしっかりするため」である。
まず、手を刀と思い、手を前に伸ばす。伸ばしたら、手の平を手首を支点として内側に返す。約45度返ってそれ以上は返らずにそこで止まるはずである。これで手先から肘まで鉄棒のようにしっかりする。
次に手の平が45度返ったところから、親指を手の平が地と水平になるまで更に約45度返す。
これで手先から胸鎖関節までに気と力が満ち、しっかりした一本の手が出来る。限界まで返すことによって最大の力が出るのである。
有川定輝先生は、手の平の返しの角度はこの45度と90度の二カ所しかなく、その間はないと云われておられた。

しかし、これを手だけでやっても上手く出来ない。前出しの「手先と腰腹を結び」「息に合わせてつかわなければならない」。
この二つは稽古の目的であったわけだが、この「手の形をしっかりする」つかい方によって、この各々の目的が達成されることになるわけである。

この手の平の45度と更なる45度、計90度の形は、正面打ち一教などの打ちに対しても、片手取りなどの掴みに対しても、剣の上げ下げでも有効であるし、また、これをつかわなければ上手くいかない。

更に、手をこのようにしっかりした形で、腰腹と結び、息に合わせてつかうと、手には気と力がみなぎり、手を掴んだ相手の力を抜き、相手を導き、制する事が出来るようになる。そしてこれが合気道の手であると実感するのである。