【第752回】 ついに高齢者になった

来年4月で傘寿(さんじゅ)の80歳になる。これまで『高齢者のための合気道』を書いてきたが、実はこれまで自分が高齢者とは思っていなかったので、一般的な高齢者や高齢者になったつもりで論文を書いてきた。偽装高齢者である。
しかし、最近、自分は高齢者になったと実感するようになったし、これが高齢者かと痛感するようになった。高齢者とは、過っての老人であるが、老人は差別用語でつかえないので高齢者とか後期高齢者というようだ。高齢者という語は体裁はいいが、只年を沢山摂った人という意味で深みがないように感じる。しかし、老人のように“老いる”のような否定的な意味はなく、高齢者には可能性があるという事を感ずる。

今年の夏は猛暑が続き、運動不足に加え、稽古の厳しさがこれまで以上に感じられ、苦労した。これまでは多少の厳しさにも挑んでそれを乗り越えてきたが、今回は己の肉体的限界を思い知らされ、これまでの挑戦に変えて、無理をしないで、その厳しさを如何に乗り越えるかということにした。
合気道の稽古もこれまでのように自分の限界以上にやるのではなく、稽古を最後まで続けられるよう、自分の体力を調節し、そして技が少しでも上達するように、効率よくつかうことにしたのである。これは高齢者の稽古といえよう。

また、これまでやって来たことを見直し、必要ないモノや害になるものは諦めるようにもした。例えば、お酒である。これまで毎日楽しんで飲んでいたお酒をきっぱりやめることにしたのである。その理由は、お酒を飲むと、特に暑い日にはふらつくことがあったからである。朝起きた時、外出先、稽古の時などである。勿論、はじめは何故ふらつくのか分からなかったが、ふらついた時、何を食べ、何を飲み、何をしていたかを思い返すと、お酒に辿り着いたわけである。そしてお酒をやめて様子を見ているとふらつきがなくなったことで、お酒が原因であったことが証明されたわけである。

お酒のない生活は寂しいが、健康には代えられない。しかし、実際にお酒をやめても“お酒”を楽しむことができることがわかり実行している。それは、アルコール無しのお酒である。アルコールゼロのビール、スパークリングワイン、ワイン、梅酒をこれまでのお酒に代えて楽しんでいるのである。この切り替えも高齢者の特権かもしれない。若ければ、ちょっと調子が良ければちょっと一杯となるだろう。年をとるとそのような誘惑には負けなくなるようだ。

この他、食欲がなくなってきている。これまでのように一人前をペロッと食べる事が難しくなってきた。胃が小さくなってきたのであろう。それ故、偶にレストランなどで食事をし、一人前の料理を完食する挑戦をしている。若い頃は考えられない事である。これも高齢者になったことを自覚させてくれる。

更に、睡眠である。過ってのように一度寝たら朝まで目を覚まさないまでぐっすり寝ることはなくなった。二度、三度は目を覚ます。これは高齢者の誰もが経験していることである。これも高齢者の証しである。

このように、自分もついに真の高齢者になったと実感するようになった。多少さびしいことはあるが、高齢者になったことに不満はない。逆に高齢者を楽しんでやろうと思う。稽古でも、日常生活でも高齢者として楽しむつもりである。若い時には出来ない事、出来なかった事、そして高齢者にならなければ出来ない事をやって楽しもうと思うのである。合気道の稽古もどう変わるのか楽しみである。