【第751回】 お返し

来年でようやく80歳になる。昔なら傘寿(さんじゅ)ということでお祝いものであったが、私の場合は、鼻たれ小僧のお別れと、真の大人へのスタートとお祝いどころではない。あと半年ほど残っているので、それまでにその準備をしなければならない。
真の大人とは、言うなれば、生理的・肉体的な意味での大人ではなく、宇宙観的・精神的な意味での大人である。例えば、年相応の心体、真善美、知識と知恵、人生観、宇宙観を有する事である。
真の大人になれば、自分の生まれてきた意味、自分が生かされてきた事、いろいろな人やモノ(例えば、お日様や自然、水や植物等)の助けがあったことなどがこれまで以上に実感できると思っている。

傘寿前の今でも、これまで多くの人たちにお世話になっていたことが分かる。例えば、両親、兄弟、女房、女房の両親、友人である。この内の一人でも欠けていたら、今の自分はないだろうし、どうなっていたか見当もつかないのである。例えば、此の“友人”である。合気道の道場で知り合ったドイツ人で、今でも付き合っている。彼のお蔭でドイツに行く事になったし、ドイツに滞在し、そしてドイツの関係の仕事を30年に亘って続けることができたのである。彼と会わなければ、外国にも行かなかったろうし、海外との仕事もしなかったし、そして海外の事は無知で終わったと思う。
それ故、彼には感謝している。

最大に感謝しているのは“合気道”である。合気道が私の生き方を教えてくれ、導いてくれたからである。合気道無くして、自分はなかったと思っている。ドイツに行ってお金が無くなった時、救ってくれたのは合気道であった。スポーツクラブや個人に合気道を教えて、お金を得たのである。合気道を教えたことによって得た最大の宝は、多くの友人や知人がドイツ、フランスに出来たことである。彼らからは、ドイツやフランスは勿論、ヨーロッパの国民性、考え方、食文化等多くを学んだ。実は、前出しの友人のドイツ人とは合気道の稽古で知り合ったので、合気道のお蔭なのである。
更にまた、自分が学生の頃から抱いていた問題、自分は何者か、何処から来て何処に行くのか等を解いてくれたのも合気道である。合気道に出会わなければ、この難問は解けなかっただろう。

傘寿の前に立ち止まって考えてみると、これまで多くの人やモノにお世話になってここまでやって来たが、映画のように見える。そしてここまでが人とモノとにお世話になってもいい“鼻たれ小僧”の大人であると思える。
そして、真の大人はこれまでお世話になった人とモノにお返しする事ではないかと思うのである。
亡くなった両親、女房、女房のご両親には祈りによって、生存している兄弟、友人、知人には、物質的精神的に、お世話になったお返しをしたいと思っている。

お世話になった(いや、まだお世話になっている)合気道にもお返しをしなければならないと思っている。何がどれだけできるか分からないが、合気道にお返ししたいと考えている。

一番お返しをしなければならないモノがある。自分だけではなく、人類や万有万物を生み育て、宇宙楽園、地上天国建設の生成化育を続けている宇宙へのお返しである。合気道の修業の目標であるわけだから、更に合気道の修業を深め、この生成化育のお手伝いをし、少しでも宇宙にお返し出来ればいいと考えているところである。