【第750回】 魄の力とは

合気道では魄の力でやっては駄目だと教えられている。
それでは何故、魄の力は駄目なのか、また、魄の力とはどのような力なのかを見てみたいと思う。

魄の力とは、云わば、魄力である。魂の力に対応する力である。魄の力を簡単に定義すれば、力を出す際に、息を吐いて出す力である。その典型的なものが“力み”という魄の力である。
この魄の力づかいは、一般に技を掛ける際、受けを取る際、また、柔軟運動の際にもつかわれている。
因みに、俺は力んでもいないし、力も込めて技を掛けていないから、魄の力ではやっていないと云う者もいるが、相手が力を抜いたり、セイブしてくれているときはそうだが、一旦、相手が力を入れてきたり、一寸頑張れば、力むことになるから、それは魄の力でやっていることになる。息を吐いて力を入れているからである。この息づかいでやっていれば、やわらかくやっても力を抜いてやったとしても魄の力でやっていることになるのである。

大先生は、「魄力でやってゆく国は、最後は上手くゆかない。あくまで魂を表に出すことである。(武産合気 P.103)」と云われているから、魄の力でやっていけば、最後は上手くゆかず、行き止まってしまうと言われているのである。“国”を技と換えれば分かり易い。
更に大先生は、「合気道は無限の力を体得することです。魄の世界は有形であります。合気は魂の力です。これを修業しなければなりません。(合気神髄p102)」とも云われており、無限の力を体得するには魄の力では駄目だと云われているのです。

しかしながら、注意しなければならないことがある。ここでは魄の力を魂の力に代えていかなければならないと云われているわけだが、大先生は、魄の力も大事であるとも云われているのである。魂の力の修行のために、魄の力の鍛練・修業も大事であるということである。魄の力の鍛練・修業によって、筋肉が付、骨格が丈夫になり、体がしっかりし、そして魄の力がつくようにしなければならないのである。

魄の力がどのような力で、これが合気道が求める最終的な力でないことに気がつくためには、天地の呼吸、阿吽の呼吸や魂の学びに入って行かなければならないようだ。

魄の力に頼らなくなってくると、何故、二教や三教が効くようになるとか、また、二教や三教の受けを取るのが気持ちいいのかなどが、頭と体で分かってくる。また、魄の力で技を掛けてくる相手の心体を吸収してしまい、それまでぶつかり合い、争いになっていた状況を避けられるようになる。

吐く息によって魄の力が出来たら、今度は魂の力の準備に入らなければならない。