【第75回】 相手を見ない

大先生(開祖)はわれわれの前で演武をするとき、「相手を見てはいけない」とよく言われた。そうかといって、大先生は技をかけるとき目をつぶったり、そっぽを向いているわけでななく、しっかり相手を捉えていた。当時は何を言われているのか全然わからなかったし、諸先輩に聞いても、わかって説明してくれる人はいなかった。

合気道の道場稽古ではいろいろな相手と稽古をする。体の大きい人、小さい人、強そうな人、弱そうな人、男性、女性、日本人、外人等々である。人は相手を見ると、ついそれに捉われてしまうことになる。強そうな相手には気力が萎えたり、弱そうな相手と見ればのんでかかったりしてしまいがちである。

本来、合気道は真理を探究し、理合を求めるものであるから、相手の外見に左右される稽古をするのは誤りのはずである。しかし物質文明にあるわれわれ人間は、強いものが弱いものを凌駕する文明の中にあり、合気道でもわれわれ稽古人はこの文明からまだ抜け出せないでいる。

開祖は合気道新聞の中に、「相手をみないことです。合気は相手をこさえちゃいけません。武道というものは目に見えざるところの世界の上にみえるように行なうのが合気道である。目にみえざるところの仕事を目にみえるように仕事をする。(略)目に見えなかったら見えるように心を引き出す。」と言われている。

つまり開祖がいわれる「相手を見ない」とは、顕界(物質文明の世界)の中で相手を見てはならないということであろう。顕界の目で相手を見れば、大きいとか、小さいとか、強いとか、弱い等々とみてしまい、自分を金縛りにして思う存分働けなくなるし、所謂仕事ができなくなり、合気道の本来の目的を見失ってしまう。顕界の目ではなく幽界の目で見よ、心を見よということだろう。心はものの大小、形、外見とは関係ない。その心は容易に見えないだろうから見えるように引き出すよう稽古せよ、と言われていると思う。外見に捉われるから、相手が掴んでいるところに気が滞ったり、武器をもたれると体が動かなくなったりすることになる。

開祖が示された超人的な技や摩訶不思議な体験は、顕界の目で見ないで、幽界の心で見ていたからであろう。