【第749回】 日に新しく進んで向上する

合気道を半世紀以上続けることになるが、合気道を修業して何が素晴らしいのかが改めてわかってきた。
合気道の素晴らしさは、技と自分がどんどん変わっていくことである。昨日まで出来なかった技が出来るようになるとか、より上手くいくようになることである。従って、今、出来なくとも諦める必要もなく、明日か来年には出来るだろうと期待できるわけである。

人にとって一番幸せなことは自分が変わって行くこと、進化していくことであると考える。しかし、これは中々難しい。その理由は、その幸せを誰も教えていない事、そしてどうすれば自分が進化していくことが出来るようになるかが中々分からないことだと思う。
しかし、これを教えてくれるのは合気道だと信じている。合気道を修業することで、己が日々進化し向上していくことを自覚できるようになり、生きる意味と有難さが理解できる機会が与えられるのである。

合気道では、日に新しく進んで向上していかなければならないと教えられている。晩年の大先生は、「昔は鳥船の行事とか、あるいは振魂の行事、いままでの鳥船や振魂の行ではいけないのです。日に新しく日に新しく進んで向上していかなければなりません。それを一日一日新しく、突き進んで研究を、施しているのが合気道です。(合気神髄 P.101)」と云われておられた。当時の私には、技が上手になり強くなるように、毎日稽古をしなければならないということだろうと思っただけだった。

今、段々分かってきたのだが、「日に新しく進んで向上していく」には、更に深い意味があるということである。
それは、まず、上記の大先生の教えに、「昔は鳥船の行事とか、あるいは振魂の行事、いままでの鳥船や振魂の行ではいけないのです。」があるが、昔の鳥船や振魂は素晴らしいが、その形のまま行ってはいけないといわれているのである。その形のままの行では、日に新しく日に新しく進んで向上していく事が出来ないということである。
日に新しく日に新しく進んで向上していくためには、鳥船や振魂の行も、日に新しく進んで向上するようにしなければならないのである。そのためには、形だけを追うのではなく、目に見えないモノ、合気道の技で云えば、宇宙の理合い、法則、条理を見つけ、身につけていく事だと考える。
鳥船や振魂の行も合気道の技も同じだが、形だけ、目に見えるモノだけを追っていると、必ず行きづまり、先に進めず、日に新しく進んで向上できなくなるはずである。これが魄の稽古である。

合気道も鳥船や振魂の行も魂の学びにならなければ、日に新しく進んで向上することは出来ないということであろう。