【第743回】 天の呼吸で踵と爪先を

合気道は、「天地人和合の理を悟ることです。宇宙の真理のごとくは技に表わすことができます。」(「合気神髄P.181」と教えている。
まずはこの教えの解釈から始める。
前半の“天地と人の和合の理を悟らなければならない”ということであるが、その意味するところは、天地(宇宙)と人は一つに結んでいなければならない事と、そしてどうすれば天地と人を結ぶ事が出来るのかという理合いを見つけ、身につけることであると考える。尚、“理”とは、真理であり、条理であり、法則であると考える。
次の後半の“宇宙の真理のごとくは技に表わすことができる”とは、宇宙(天地)の真理(理、条理、法則)は合気道の技で表わすことができるということと、出来なければならないということである。そして技で表わすことができれば理を悟ったことになり、前半の文に繋がり、戻るわけである。

これまで天地(宇宙)の真理(条理、法則)を求め、そしてそれを技に表わそうとしてきているが、これでますますこれを確信したし、これで技を練っていかなければならないと思った次第である。
この矢先、“天地人和合の理を悟り、宇宙の真理の技に表わす“技づかいとはこれかと思ったものがあった。
それは、今回のテーマである「天の呼吸で踵と爪先をつかう」である。これで悟った理が間違いでないこと、技も宇宙の理に叶ったものであると感得できたのである。

正面打ち一教で見つけたので、正面打ち一教で説明する。
まず、天の呼吸であるが、天の呼吸は吐く息である。そして天の呼吸には日月の呼吸、つまり、日の呼吸と月の呼吸があるわけである。注意しなければならないのは、日の呼吸と月の呼吸は天の呼吸なので、両方とも息を吐かなければならない事である。これを頭だけで考えると上手く出来ないものである。
そこで「天地人和合の理を悟る」のである。天と自分を結び、息を吐きながら天からの息を地に落すのである。これで天と地と己が和合したことになる。
技をつかうためには足をつかわなければならないから、天から息を吐きながら地に下ろす時、踵に下ろし、そして息を吐いたまま爪先に移動して下ろすのである。もう少し詳しく言うと、息をながら踵から地に着き、そのまま息を吐きながら小指球と母指球が地に着き、そして更に爪先が地に着くのである。
ここまでの爪先までが息を吐く日の呼吸である。爪先が地に着いて気と体の力が地から戻ってくる。この上がってくる反発力に合わせて、地の呼吸で息を引く(吸う)のであるが、爪先での息を吐きながらの反発力と上がってくる息が月の呼吸であると感得する。
従って、天の呼吸の吐く息は、踵、小指球・母指球、爪先でとなるのだが、敢えて中間の小指球・母指球の語は省略する。

尚、息を吐きながら踵と爪先に息と体重を落とすのは無理なように思えるが、天地の理に従えば当然のことなのである。人は通常何気なく歩いているが、踵そして爪先を息を吐きながら地に着けているはずである。これを技を掛けて相手を倒そう、極めようなどと思うから、宇宙の理に反した不自然な息や体のつかい方をしてしまうのであると思う。

天地と結び、この息を吐きながら天の息で踵と爪先をつかうと、それが技に表れるだけでなく、更なる理(条理、法則)が表れる。例えば、踵に息を落とすと、気と体重が腰・背中側を通って地の下に落ちていき、息を更に吐きながら爪先に気と体重が移動すると、足首、膝、腰、腹に力が溜まり、そして腹に繋がる。また、足首、膝、腰、腹の下肢の各部位に上肢の手首、肘、肩、胸がそれぞれつながっているのが分かる。そうすると今度は、足首と手首、膝と肘、腰と肩、腹と胸が繋がって一緒に働くようになるのである。
これが天地人和合の理で、これが技に表れることになるのだと思う。

尚、正面打ち一教はこれが分かり易いだろうが、片手取り呼吸法でも同じようにできるし、そうやらなければならない。また、四股踏みは、この理でやると上手くいくようである。