【第740回】 顕幽神界・過現未と繋がるのはひびき

「第145回 ひびきと波動」で、「自然界は波動に支配されている」(Newton 2009/01)と書いたように、自然界、つまり宇宙はひびきで響き渡っているということである。波動とは、合気道でいうひびきであり、自然界は宇宙である。合気道では、大は宇宙組織のタマのひびき、宇宙組織のひびきから、小は自分のひびき、己の心のひびき、五体のひびきなどの他、動物や植物や鉱物の万有万物のひびきが響き渡っていると教えている。

先述のひびきは、今あるモノ、つまり顕界のモノのひびきであるが、目に見えない幽界のモノのひびきもあるはずである。例えば、今やこの世にいない人や動植物などのひびきである。恐らくこの世の顕界に響かせていたひびきを幽界でも響かせ続けているはずである。
何故そのように思うかと云うと、何人かの方々は、死者や死んだ動植物と対話をするというし、イタコさんたちは死者と対話ができるというからである。
対話ができるということは、死者たちのひびき(波動)を受信できるということである。一般の人たちはその波動の受信範囲にないので、感知できないという事だと思う。万有万物のひびき(波動)は違っているし、その受信範囲も各々限られているということである。
もし、人のひびき(波動)の受信範囲が拡大すれば、鳥や動物の声の他、花や木の気持ちも分かるし、対話が出来るはずである。中には動植物の心が読める人もいるが、それはひびきの受信範囲が通常より広いということだろう。

合気道では、宇宙には顕界と幽界のひびきの他に神界のひびきがあるという。お先生は、「ひびきと神体と声は実在する」(武産合気 P98)と云われている。大先生は神との交信・交流をされていたわけだが、ひびきによる交信・交流だったはずである。勿論、ひびきによって、声だけでなく、姿もご覧になっていたはずである。

顕界幽界神界の目に見える世界も見えない世界も、遠く離れているわけではなく一つであると云われる。神様、仏さまが見ているといわれるのはこの為だと気づかされる。あるのだが見えない、聞こえないのはそのひびきを捉える事ができないからであり、そのひびきを捉える事ができれば、それを感得できるし、交流も出来るのだろう。
また、大先生は過去も未来も今現在にあると、過去現在未来は一つであるとも言われていたが、ひびきで考えればみんな一つになる。

ひびき(波長)には感得できるものと出来ないモノがある。それは人により、生き物により、モノにより違う。しかし、人も万有万物が共通して一番感得しやするひびきは“愛”のひびきだろう。“愛”は常に、何処でも、誰にでも響き渡り、そして喜びと幸せを与えるためであろう。

合気道の修業の目標は、宇宙との一体化である。そのために、これまでは宇宙の法則に合した体づかいをし、宇宙の営みに則った技を身につけて宇宙に近づこうとしてきたが、これからは更に、己の心体のひびきを宇宙のひびきに結ぶ修業には入ることになるだろう。
尚、宇宙のひびきとは魂である。合気道は魂の学びであるから、宇宙のひびきの学びが合気道になるわけである。
宇宙のひびきと同調できれば、宇宙の心・気持ちがわかることになり、これまで見えなかった事が見えるようになるだろうと期待している次第である。

今回の結論は、顕幽界と過去現在未来と繋がるのはひびきであろうということである。