【第738回】 近代スピリチュアリズムと合気道の霊魂

「高齢者のための合気道 第738回 『浅野和三郎の霊魂観』」で、お医者さんである矢作直樹氏先生の『人は死なない』を面白く読ませてもらい、また、大変参考になったと書いた。そしてどこがどのように面白く、参考になったのかを書く約束をしたが、同じ第738回ではあるが、予告した通りにここに書くことにした。書く内容が「合気道の思想と技」になると思うので、「高齢者」ではなく、「思想」の項にしたわけである。まことに紛らわしいと思うがご容赦願いたい。 

さて、この本を読んでみようと思ったきっかけであるが、この本のタイトル『人は死なない』を医者である科学者が書いたことである。そして読んでいくうちに、このタイトルにある『人は死なない』という意味が分かってくる。まず、これが面白かった事であり、動機である。後は、合気道の思想と技に関係づけ、比較してみると参考になり、それも面白い。
それでは『人は死なない』と合気道の関係や比較を書いてみたいと思う。そのために、矢作直樹先生の『人は死なない』のその箇所を要約・抜粋・引用し(この箇所の全文は、「高齢者のための合気道 第738回 『浅野和三郎の霊魂観』」にあります)、そこに合気道との類似や違いなどを書くことにする。

『人は死なない』 合気道
  1. 霊体は、霊・心・体ともいい、これは心身(体と脳機能によって活動する心)とそれを司る霊の統一表現です。
  2. 生死に関わらず肉体から離れても存続する存在を仮に「真体」と呼びます(真体は、肉体とまったく同じサイズ、スタイル、個性を持っているが電磁波のように肉眼では見えないとされる)。
    そして、肉体をまとっている(生きている)真体を「魂」、肉体を脱ぎ去った(他界した)真体を「霊」と呼びます。
  3. 人間はコンピュータを内蔵した着ぐるみを着たようなものであり、電源を持った魂がコード」と呼ばれ、(日本では古来「玉の緒」と呼ばれている)その着ぐるみと繋がり、スイッチを入れた状態になっている。
  4. 魂はコードを介して電気を流し、着ぐるみおよびコンピュータを操作したりメンテナンスをしていることになる。
  5. 記憶は肉体の脳だけでなく魂にもカーボンコピーのようにまったく同じように共有される。
  6. 魂自体は他の魂や霊と交感することができ、互いの姿が見え、声が聞こえ、自由に空間を移動することができるが、着ぐるみ(肉体)をまとうとそれらの能力は封じられる。また、着ぐるみは、それだけでは動かない。電源を入れて動かすのは魂である。
  1. 合気道では、「人間は霊ばかりでは駄目で、肉体がなければ働けません。肉体と霊が両々相まって働く時、真実の働きが出るのであります。肉体は生成化育のものを生み出す地場で、霊は肉体を育てあげねばなりません。体はまた精神(心)に従って、すべて精神によって動き、精神にまかせてゆかねばなりません。精神を守るだけの肉体となってはじめて道が成立するのです。((武産合気 P47)」と、霊体心を云っている。
  2. 合気道は肉体を気が覆っている。これを開祖は、「気は自分の衣服であると感得する。自然に空気に自分の身が接触して、天地自然の衣服を与えられている理を感じられる。(武産合気 P.96)」と言われている。
    また、気は魂であると、「形より離れたる自在の気なる魂、魂によって魄を動かすと言われる。(「合気神髄p131」)つまり、魂は肉体の衣服である。因みに、気は幽の体、魂は幽の幽ということだろう。
    また、ものの霊を魄という、霊とは即ち「魂」のことというように、霊は魄でもあり魂でもあるようである。また、一霊四魂三元八力のように霊が魂を統括する働きもある。
    つまり、合気道では、一霊四魂、宇宙の霊、一番のもとの親様大元霊、造り主の分け御霊(魂)とか物の霊(魄)等大小さまざまな霊と霊の働きがある。
  3. この「着ぐるみ」が、合気道における「気(魂)の衣服」ということになろう。
    この電源を持った魂のコード」を「玉の緒」とも呼んでいるが、合気道でも「玉の緒」、「魂の緒」、「霊の緒」と読んでいる。魂を表に出すことである。自己の魂の緒の動きは悉く宇宙にひびきつらぬく。故に玉の緒が働かくなった時、宇宙との結びが切れ死ということになる。
  4. 魂は魄(肉体)の表になり、心に働きかけ、体をつかい、技をつかったり、修正したりする。「電気を流し」とは、魂の霊れぶりと云うことであろう。
  5. 合気道にはこのコピーに当たる直接的教えはないが、次のような教えにあるように思う。「魄の世界を魂の世界にふりかえるのである。魄が下になり、魂が上、表になる。」「形より離れたる自在の気なる魂、魂によって魄を動かす」
  6. 合気道があるレベルまで達すると、そのような能力が授かる。大先生などはその代表である。人間だけではなく、動植物や神様とも対話が出来たし、鉄砲の弾も見えたし、瞬間移動もされたと聞く。
    魄の稽古をしている内は、それは出来ない。魂の修行にはいるのである。魂の修行こそが合気道の真の学びなのである。魂の学びが大事なのである。

合気道でも、心体、身体、魂魄、霊魂、玉の緒、顕幽神界などなど難解な言葉がつかわれている。合気道の場合は、頭で分かっただけでは本当に理解したことにはならない。本当に分かったという事は、技で示せる事である。これが学問や宗教の世界とは異なるところである。それ故、難しいのである。

参考文献 『人は死なない』(矢作直樹著 バジリコ社)