【第737回】 フランスの友人の問いに答えて

ドイツの見本市で25年間一緒に仕事をしていたフランスの友人からメールで次のような問い合わせが来た。「ドイツのハノーバーで一緒に仕事をしていた時、貴(私のこと)は上手くスイッチオフをしていたのを見たが、どうすればスイッチオフできるのか? 私には出来ないし、出来たことがない!」ということである。この友人は昨年フランスで出版された私の著書『SASAKI TAKASHI 合気道』の愛読者ということでも、このような質問をしてきたのである。
尚、スイッチオフとは、
1.〔思考回路のスイッチを切って〕頭を休める
2.〔人が〕興味をなくす、という意味である。
そして次のような内容の回答を英語にして送った。


君の質問の答えになっているかどうか分からないが、思いつくことを書く。

<呪縛しない>
私は合気道から多くのことを学んだ。例えば、switch offでもそうである。合気道の技を使うときは、一つの事や前のことに気を留めたり、拘っていては気も力も出ないのでいい技にならない。例えば、敵に掴まれた手を見たり、気にしていては思うように動けなくなる。自分で呪縛しているのである。合気道のいい技とは、通常の生活・やり方でいい働きが出来るという事である。自分に呪縛を掛ければ、いい働きといい生活が出来ないということになろう。自分で呪縛を掛ければ、switch off出来ていない事になるわけである。

<心を自由に>
この呪縛を解くのも解かないのも心である。心は自由であるから、やろうと思えばいつでもswitch offできるはずだが、それが中々出来ないのも事実である。合気道でも難しいのである。だから繰り返してこの稽古をするのである。こころが自由になるためには、合気道でもある程度の修行が必要なように、合気道以外の日常の世界にある人も、ある程度の訓練が必要なのだろう。人が「禅」に興味を持ったり、坐禅を組むのもその修業の為だと思う。
心は脳の働きであるから、意識で自由に出来るはずである。

<物質文明の弊害>
switch offは、現代社会では難しいと思う。何故ならば、今の世界は物質文明にあり、目に見えるモノを大事にし、力のある者が弱者を押しのける競争社会であるからである。だから人は他人、他国など他を意識しすぎることになる。そして人は敗者にならないよう、勝者になろう、負けないよう争うことになるし、失敗しないように頑張ったりするし、場合によっては、嘘をついたり、他人を欺いたり、陥れたりしてしまう。
物質文明社会では見えるモノに一喜一憂することになる。モノに呪縛されて、振り回されているのである。神の目から見れば、人間は滑稽なことをやっていると思うだろう。

<モノの上に心>
合気道では、経済は大事だが、その上に「心」(正確には魂)が載り、その「心」で自分も社会も導かなければならないと教えている。経済と心のバランスを取り、そして心で経済を導くのである。合気道では、身体と力は大事だが、その肉体的な力に頼ってつかうのではなく、その身体と力を土台にしてその上に「心」を載せ、「心」で己の身体と相手を導けと教えているのである。金があれば、その金を「心」で使えという事である。己の心が満足するように、そして相手の心、社会、人類も満足するようにつかえということでもある。金に心がつかわれてはいけない。
しかし、心がよく働けるためには、土台になる体が健康で丈夫でなければならないから、体を鍛えることや大事に扱うことが大事である。病的な体では心も病的になり働けないし、楽しくない。

<見えないモノが大事>
要は、現代人は見えるモノに囚われ、呪縛され、目には見えない大事なモノを見失って、悩んでいるように思う。モノがない時期は物質的なモノを手に入れることに喜びを感じることができたのだが、モノが満ちてくるとモノでは満足出来なくなってくるはずである。
私は年を取るに従って、モノ(家や車やお金等)には興味が無くなってきているし、モノでは真の感動は得られない。大事なモノは目には見えない、手では掴めないモノである。心である。子供たちの素直な心の笑顔、他人の親切な心、助け合う心、また、花や草木の無心な心の美しさ等に涙が出るほど感動する。

<大局的、宇宙的に考える>
私は学生の頃から、生まれたことの意味、生きる意味、つまり、何処から来て、何処へ行くのか、人は、自分は何をなすべきなのかを考え続けて来ていた。君と一緒に働いていたハノーバー時代にはその解答をほぼ出していた。合気道のお蔭である。
合気道では、人も万有万物は生まれれば使命を持たされるという。使命とは何かというと、人それぞれ、万有万物が天から与えられるものである。例えば、虫や草花にも使命がある。糞ころがしや虫たちは地上を綺麗にするのが使命であろう。
人も禽獣鳥虫草木が、何故、どのような使命を持たされるかと言うと、宇宙楽園建設や地上天国建設である。宇宙楽園建設や地上天国建設の生成化育のお手伝いをすることである。万有万物がそれぞれの使命を果たすことによって、宇宙や地球を理想の天国になるようにするのである。その証拠に、そのために成果を挙げた人にはノーベル賞などの賞が与えられるし、その生成化育に尽力した人は褒められたり、評価されるだろう。逆に、犯罪者や世の中を見だす者が罰せられたり、不評なのは、その生成化育を邪魔するという大罪を起こしたからである。
因みに、合気道のような武道は、宇宙楽園建設や地上天国建設の生成化育を乱すモノを排除するのが使命なのである。(残念ながら私はまだ出来ていない)

<使命に気づき、使命に挑戦する>
人は使命を持っているが、それに気がつぃていないようだ。己の使命に気づき、その使命を果たすべく生きていけば、それ以外は重要でなく、興味も無くなるものである。
使命には、人によって異なる使命と誰もが持たされる共通の使命がある。その人の共通使命とは、己を知る事である。例えば、先述の自分は何処から来て何処へ行くのか等である。その己の使命を持てれば安心して生きていけるし、死んでもいけると思う。
己を知れば、他人を知ることが出来るようになり、そこに愛が生まれ、社会は幸せとなり、地上天国に近づくことになるはずである。
因みに、合気道は敵と戦うために修行するのではなく、合気道そして自分の使命との戦いなのである。その使命への挑戦である。
自分の使命を果たせば、お迎えが来る事になっているという。これはまだ体験していないので断言できないが、そう思いながら生きていく事にしている。逆に言うと、使命を果たせない内は生きているという事にもなるだろう。そう言えば、これまで死んでもおかしくなかった体験を3度したが、不思議に生きているのは、使命を果たすために生かされたと思っている。もう少し生きていられそうである。

<結論>
人にはいろいろな心配があったり、生きていることに何か満足出来なかったり、やるべき事があるのではないかと迷ったりと心配や不満や恐怖をもっているようだ。そこでこのようなコトを考え、実践していけば、心配も不安も無くなり、switch off出来、何でもやりたいように出来るだろうし、寝たい時には気持ちよく眠りに入り、熟睡出来るとばずだと思う次第である。