【第735回】 念で業が無限に発兆する

魂の学びの真の合気道の修業に入ろうとしているわけだが、やるべきことがいろいろ有り、それに一つ一つ挑戦していかなければならない事が分かってくる。
今回は、今朝、読んだ『合気神髄』「正しい念は宇宙と気を結ぶ」(P.104)の「念」の教えについてその重要性を再認識したので、それを書いてみたいと思う。

合気道での技の錬磨の稽古の目標は、宇宙との一体化と思っている。宇宙と合気し、宇宙になることである。
宇宙にはいろいろな意味があるだろうが、天文学的な大宇宙でもあり、時間空間を超越したものでもある。
宇宙との一体化のために、技を練り、宇宙の法則を身につけ、宇宙の営みの技が出るようにするのである。このためには、心身の統一をはかることが必要であるが、そのためには自己の心を練り、念を研ぎ澄ましていかなければならないのである。
そして、この心身の統一が技が生まれる土台をつくることになり、土台ができてば、後は念で業が自由自在に生まれる、と大先生は次の様に言われているのである。「これにはまず自己の肝心な心を練り、念の活力を研ぎ澄まし、心身の統一をはかることに専念することが必要である。心身の統一は進んで、業の発兆の土台となり、念で業が無限に発挑する。」

これはこれまで書いてきた、魄を土台にし、魂を上・表にすれば、魂で技が生み出されるという事と同じである。つまり、ここでの念とは魂に相当するわけである。
“魂”は難しいが”念“なら親しみやすいし、つかいやすいはずである。”念“で技を掛けていれば、その内に”魂“も分かってくる筈である。
因みに、“念”を辞書で見てみると沢山の意味があるようだが、この場合は、心のはたらき、いちずに思いをこめる、心の中の一定の対象に精神を集中させること等が相応しいだろう。

尚、大先生は「業の発兆の土台となり、念で業が無限に発挑する」と“技”ではなく、“業“という字をつかわれておられるわけだが、その訳は、大先生の中の”わざ“は神業の”業“であり、我々の合気道や武道の次元の人間的な”技“ではないということを意味しているように思える。また、大先生のこの”業“は、武道だけの”わざ“ではなく、日常の立ち振る舞い、仕草、動き、姿勢などなど、時間と空間を超越した”宇宙のわざ“ということだと思える。

念で技、そして業を無限に発兆していきたいものである。